経世済民(世を経(おさ)め民を済(すく)う)、あるいは、乏しきを憂えず等しからざるを憂う、とは古代中国に源をもち、現代の我々にも大いに貴重な言葉として伝わっています。「経済」の語源としても福祉社会のあり様の考え方としても参考になると言えましょう。少し見方を変えて地方自治にこうした考え方を敷衍するならば、地域(国)づくりの究極の目標は「県(国)民福祉の向上、県(国)土の均衡ある発展を目指す」ということになるのではないでしょうか。
経済のグローバル化の大潮流の中で地域経済も社会も大きく揺れ動いています。「もはや戦後ではない」とは1956年の第1回経済白書での記述ですが、この意は、戦後復興の時代は終わりこれからは新しい挑戦をするという困難な道が待っている、といった内容と承知しています。今はまさに「もはやこれまでの道筋では将来が描けない」、「もはや国という単位では図れない」という時代に突入しているとの感を持ちます。高度経済成長とその遺産による持続的な発展の時代は確定的に終わり、これからは新たな挑戦に不断に取り組むことが不可欠と考えます。
こうした中で重要なことは、人間個人個人の生きざまと社会全体との調和、言い換えれば「個(人間力)」としてどうあるべきかということと、「安心社会」の構築が大きな要素として浮かび上がってくると感じます。「安心社会」と言えばこの夏に策定された「骨太の方針2009」では「我が国の経済と社会は〜「豊かさ」と「希望」と「信頼」とを次代に引き継げるか否かの歴史的な正念場にある。〜国民の暮らしと生活を守ることを最優先すべく経済と社会を一体的に捉えた変革に取り組まなければならない。〜「安心社会」を実現し〜云々。」とあります。立場を超えてこの考え方は広く承認されるものと思います。 産業政策とはまさに「安心社会」の構築を目指す地域づくりのための必要不可欠な手段なのです。以下、順次、産業政策と地域づくりについて「私なりの考え方」をお示ししたいと思います。
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