三河木綿は、平安時代の初めごろに崑崙人(こんろんじん:インド人と言われている)が愛知県幡豆郡福地村(現在の西尾市)に綿種を持って漂着しました。これが日本の棉の伝来と言われています。そのため、西尾市にはその人物を綿の神様として祭っている天竹神社(てんじくじんじゃ)があります。しかし、残念ながら、この綿花は三河地方の気候・土壌に適応せず、定着しなかったと言われています。
三河地方が綿織物の一大産地として本格的に発展してきたのは、江戸〜明治時代です。15世紀の後半に、朝鮮半島から綿布が大量に輸入されるようになり、16世紀には中国からの唐木綿の輸入が加わって、綿布の国産化の気運が高まっていきました。
江戸時代になると、三河地域の綿産業がさらに活性化し、「三白木綿」として江戸で人気になりました。
明治時代になると、西洋の技術を取り入れたことで量産化が進みました。「三河木綿」の名称は、三河織物工業協同組合によって、2007年に「三河木綿」が地域団体商標に登録され、更なるブランド力の向上と拡販を目指しています。
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