日進医療器株式会社は、昭和39年2月、スプリング等の自動車部品メーカー「日進発條株式会社」として設立された。時しも東京オリンピックが開催された年である。
車いすの製造を始めるきっかけとなったのは、国際身体障害者スポーツ大会(後のパラリンピック東京大会の正式名称)。東京オリンピックの後開催されたこの大会を見て非常に感動した創業社長の松永和男氏は、車いすメーカーへの転換を決意する。
昭和40年、国立身体障害センターの指導を受けながら、見よう見まねで車いすを開発。販売を始めるも当初はほとんど売れなかった。それもそのはず、当時、車いす市場は年で5,000台、この小さな市場のほとんどが外国製品、残りを先発の国内専業メーカーが奪い合っていた。そのような状況でも初志貫徹、ユーザー、介助者、医療機関等様々な場所に顔を出し、機会あるごとに意見を聞いて歩いた。ユーザーの意見をどうすれば製品に反映させられるか、しかもいかに安くつくることができるか、改良を続けた。
昭和45年、社名を日進医療器株式会社へ変更、ようやく軌道に乗り始めたころである。
実は、車いす市場はある程度経済基盤ができてきている国でなければ大きくならない、という側面を持つ。いわゆる経済的に豊かではない発展途上の国では「とにかく食べていくこと」が優先となり、車いすまで需要が回りにくい。それに対し、経済先進国では経済的な余裕もでてくるため需要が大きくなる。日本もまさに高度経済成長下、市場が大きくなりつつある時期であった。
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