和菓子文化を守りたい。職人技が支える麩菓子づくり
伊藤文仁 記事更新日.07.07.04
有限会社大口屋代表取締役
■問合せ先
有限会社大口屋
〒483-8235 江南市布袋町中67
TEL 0587-56-3067(代)  FAX 0587-56-0113
http://www.ooguchiya.co.jp/

■創業文政元年、190年の歴史を持つ老舗

「20年前に比べて1/3に減少している」とも言われる和菓子店。生活習慣・食習慣の変化もあり、生き残りの厳しい業界である。しかし、これに反し和菓子需要そのものは意外と落ちておらず、近年は上昇の兆しさえある。パン業界は安定したコンビニ需要と利益率の高さに目を付け、商品開発を積極的に行っているほど。つまり、商品開発や販路が適切であれば需要はある、ということだ。

和菓子店の減少の意味するものは、「魅力ある商品の減少により購入客が和菓子店からコンビニへ移動した」というである。

こうした厳しい環境にありながら、安定した業績を残しているのが有限会社大口屋である。1818年(第11代将軍徳川家斉の頃)創業以来190年間、現在では六代目の伊藤文仁社長が暖簾を守っている。

■大ヒット商品「餡麩三喜羅」誕生

今から20年以上前。当時、主力商品であった蒸し菓子の需要減少を実感していた先代社長と共に、新商品を開発する必要性に迫られた。様々な食材をあたるうち、当時話題になり始めた麩菓子にめぐり合う。しかし、当時の麩菓子は素材が硬くお菓子に使えるものではなかった。というのも京料理の一品としての存在で、そもそも菓子として考えられていなかったためである。しかしそこは生来の「しつこい性格」。使いにくい素材ほど燃えた。知り合いの角麩(表面が波型になった名古屋地方ではポピュラーな食材)を扱う業者から「麩」という素材を学び、餡を生麩でくるんだ「餡麩三喜羅(あんぷさんきら)」を1975年ごろ発売した。

開発当初は、麩の品質も不安定で、入荷ロットごとに使用感が異なる状態であった上、四季毎にも品質が異なり、商品の出来上がりも不安定なものであった。「始めた当初はお客様からお叱りもいただきました」。

餡麩三喜羅

■しっかりとした食品生産技術力

餡麩三喜羅はもちもちとした食感の生麩としっかりと熱を通した小豆で丁寧につくられたこし餡の組み合わせによる上品な味わいが特徴。さらに本体を塩漬けされた三帰来(別名サルトリイバラ)で包むことで、葉の香りと塩味が加わる、味わい深い生和菓子である。

現在、餡麩三喜羅は売上の7〜8割を占める主力商品となり、当社の知名度を大きく上げた。1日の製造個数は1万個。数が多くなっても、手作りの工程はあえて残している。

 「基本は、自分の手と目で確かめる、ということです。機械はあくまでも道具なのです」。製餡プラントでも機械任せにせず、目と手で確認しながらの作業を行う。
実は、餡麩三喜羅は、基本的でありながらしっかりとした技術が必要となる商品である。

例えば、餡の材料となる小豆を煮る作業。しっかりと豆に熱が入っていないと、離水が多くおこってしまい、特に餡麩三喜羅のように生麩でくるむ生和菓子では、べたつきやすくなってしまうし、味も水っぽい甘さになってしまう。

 「小豆にしっかり熱を通すことは基本的な技術なのですが、これを徹底して行うということが難しい技術でもあるのです」と伊藤社長。
デリケートな味や食感を出すためには、こうした基本的な技術の積み重ねに大切なのである。

■材料はいいものを。徹底したこだわり

こうした確かな技術はどのように企業内で育まれるのか。

「素材はとにかく『いいもの』だけを使っています。いいものだけを使って作るということは、不要な添加物や混ぜ物をする作業がありません。そうすると製造工程も単純に基本の部分だけとなるわけです。こうすることで従業員も徹底的に基本を身につけることができます。しかし、納品業者さんからは冗談まじりにこんなことを言われます。『他社へ持っていっても何の問題もない材料が、大口屋へ持ってくるとダメだといわれる』」。

このこだわりは、色素にも及ぶ。使うのは天然色素だけ。「おそらく、こんな贅沢な店は他にあまりないのでは」と語りながら、伊藤社長自身が苦笑いする。

当然、大ヒット商品の餡麩三喜羅にも、こうしたこだわりは存在する。
最初から「お菓子」として開発しており、料理の一品である京都の麩菓子よりもはるかに柔らかく、賞味期限も2日と短い。「お客様からはもうすこし賞味期限を延ばせないかと言われるのですが、今の味・自然素材へのこだわりを守ろうとすると、この2日は譲れないのです。防腐剤や保存剤を使うのは論外として、防腐効果のある砂糖を多く使えば、多少は賞味期限を延ばすことも可能です。しかしそれでは今の味は出ない。2日の賞味期限でお客様に我慢してもらうということは、裏をかえせば、今の味、今のこだわりをお客様に保証するということなのです」。

しかし、こうしたこだわりに、じわりじわりと危機が迫っている。高齢を理由に、こだわり材料を提供してくれる製粉工場の廃業が増えてきたのである。これは職人の高齢化を原因として技能継承に苦しむ「サポートインダストリー(基盤技術産業)」の危機と相似する姿に映る。

■和菓子文化を後世に

和菓子の需要スタイルは昔に比べ大きく変わってしまっている。
以前は冠婚葬祭、お茶などのお稽古事に頻繁に用いられ、20〜30個の大口需要が多かったが、そうした機会も減り、2〜3個という個人需要が主流になっている。比較的需要の安定した法人需要や観光需要をターゲットにした商品開発や販路開発をする必要に迫られ、一宮駅前、三越・松坂屋等のデパート、JR名古屋駅・中部国際空港などへも販路を確保した。

餡麩三喜羅が大ヒット商品になり、一躍名が知れたが、社長曰く「当社は『生菓子屋』です。定期的に商品開発も進めています」。
インタビュー中、何度も社長の口からは「和菓子という日本文化を守っていきたい」という言葉が口をついて出た。

「和菓子に携わる者として、大切な日本文化の一つを担っているという自負もあります。これからも文化としての菓子を残していきたい、と。そのためには、和菓子に慣れ親しみの薄い若い方にアピールできる、業界のイメージアップになる商品の開発も必要になってくると思っています。小豆が材料の餡は、ビタミンEやB群、カルシウムやミネラル、食物繊維など栄養素をバランスよく含有していることなど『ヘルシーなお菓子』であることもまだまだ知られていません」。

そして、最後に。
「いいものをつくっても、やはり、『たかが菓子屋』と思われていたと思います。しかし、多くの方に食べていただき、愛知ブランドにも選んでいただけるなど、多くの方から評価いただくようになりました。ようやく一人前に、そして和菓子文化を認めてもらえたかなと考えています」。
 

取材・文 有限会社アドバイザリーボード 武田宜久