社会人野球を辞めて、失意の中、居酒屋通いを重ねる青年がいた。ある日、彼が通いつめる居酒屋で偶然隣の席にすわったのが野球好きの社長。社長は彼に「やることがないのなら、うちで働かないか」と声をかけた。誘われるまま連れて行かれたのが樹脂成形加工の工場。図面が見る見るうちに形になっていく「ものづくり」の現場を見て、「これだ」とワクワクするのを抑え切れなかった。「ものづくり」に一目ぼれした「彼」こそが、後の株式会社鳥越樹脂工業創業者となる鳥越豊氏である。
誘ってくれた社長に「働かせてください」と即答した。そしてこう続けた。「でも使われるのはいやです」。思わぬ一言であったが、社長は「それなら2年間で覚えたら独立したらいい」とだけ言った。「それからというもの、年4200時間、正月も無休で働きました」と鳥越氏は振り返る。
2年間の修行で技術を身につけ、1年間のお礼奉公の後、1984年1月独立を果たす。「創業は1月1日、家賃35,000円、12坪の小さな工場でした。『挑む』という2文字を自分の中の銘としました」。
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