一貫生産技術を活かし特許で「自社だけ」のビジネスを

代表取締役 木村 徹

記事更新日.2020.2

株式会社 木村台紙

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株式会社 木村台紙
〒464-0858 名古屋市千種区千種2-15-18

 国産カメラが初めて発表されたのが1903年(明治36年)。明治から大正にかけて、写真は写真館で一生に数度撮る程度の貴重品であった。撮影された写真は、写真台紙へ貼られ、一生の記念品となる。
 1914年(大正2年)に県下4番目の写真台紙製造業(写真台紙業組合20周年資料より)として創業、現在に至るまで写真台紙の企画・製造・販売を行っているのが株式会社木村台紙である。従業員5名でありながら全ての工程を内製化し、オリジナル企画に柔軟に対応できる技術力が強みである。ホテルや結婚式場、写真館など、品質には殊の外厳しいとされるブライダル産業を顧客に多く抱える。近年は、富士通の透かし印刷による「印刷コード埋め込み技術」を活用したオリジナル台紙が今注目を浴びている。




デジタルカメラ登場で縮小する業界、会社を支えた技術力

 創業当時、写真は高価でそれを貼る写真台紙も贅沢品。日に10〜20枚作り写真館へ納める程度で充分に食べていけた時代であった。戦中や戦後、高度成長期を経て、業界の全盛となったのはバブル景気の真っ只中でデジタルカメラ普及前の1989年ごろ。写真は印画紙にプリントするものという時代で、台紙メーカーも全国で50社ほどになっていた。
 「ウエディング関連の仕事を中心にしていますが、当時は、婚礼写真は参列した親戚の世帯数だけ台紙で配布するのが習慣で、1つの婚礼で100枚、多い時は200枚使われることも珍しくありませんでした。それがハウスウエディング主流の今では、資金援助をしてくれる両親や祖父母たちへ渡す2〜3枚となってしまっています。デジタルカメラやスマートフォンの普及で、写真はデータで持つものとなったこともあり、同業は半分以下、県下でも4社になってしまいました」と業界の趨勢を振り返る木村徹社長。

 こうした業界にあって生き残りの原動力となったのが一貫生産を実現する技術力。
 写真台紙は、大きく分けて表紙・下台紙(裏表紙)・中台紙(写真大の窓が空いた紙)・化粧紙(中台紙と表紙の間の薄紙)の4パーツで構成される。紙を貼り合わせ台紙の厚紙を作る「合紙」、台紙の形状に切断する「裁断」、台紙に表紙を貼る「表紙貼り」、表紙の折返しをつける「筋付け」、中台紙の窓抜きをする「型抜き」、意匠性の高い窓抜きをする「Vカット抜き」、そして表紙の意匠性を高める「箔押し」「ステッチ」「ネーム入れ」「型押し」などの工程の後、最終検品を経て出荷される。
 「合紙技術一つをとっても職人技が必要となります。貼り合わせるのに使うニカワを薄く均一にするためには、季節による温度・湿度の変化、その日の天気などによる粘度の調整が必要です。これがうまくいかず、粘度が高く粒状になると台紙に凸凹ができ不良品となってしまいます」。
 こうした工程を一つ一つ確実に内製化することで、一貫生産体制を実現させた。




一貫生産体制がもたらした強み

 「一貫生産になったのは10数年前です。表紙貼り・合紙・箔押しなどの専門業者がどんどん廃業していくため、それに押される形で内製化が進んでいきました。内製化してみると『この技術はこう使うとこういうことができる』と今までになかった切り口を見つけることもしばしばありました。大手は分業化しそれぞれの工程で職人化しているため、経営者でも営業はできるが技術は詳しくない、あるいは外注工程の技術については詳しくないという企業もたくさんあります。当社は社長の私が営業から一貫して製造技術まで関わっているので、企画内容が対応可能かどうかの判断もその場でできますし、万が一難しくても別の方法を提案することもできます。内製化した工程にもすっかり詳しくなり、今では箔押し屋さんが技術を頻繁に聞きに来るほどの技術力となりました」と木村社長。
 一貫生産は「品質の高さ」「多品種少量生産」という大きな強みも生みだした。
 当社の顧客はウエディング産業が主力で、ホテルや結婚式場ごとに企画段階から参加するオリジナル商品となる。同じ大きさの写真でもホテル・式場ごとに中台紙の枠空けの大きさが異なるなど、多品種少量での納品となる。その上、「縁起もの」の商品のため、キズなどはもっての外、白さの品質も厳しく求められる。高品質で安定した製品を多品種少量生産するには、全ての工程に目を届かせ品質と生産量をコントロールできる一貫生産が大きな味方になる。
 「最近では、ホテルや式場ごとに異なるだけでなく、挙式される方の名前を入れるなどの個人のカスタマイズオーダー化も進んでいます。また、個人向けネット通販でもオーダーの多様化は実感しており、柄(8種)、色(7色)、ロゴの種類、中枠の形状、写真の大きさ(六つ切り/キャビネ)、写真の面数(2面/3面)などがカスタマイズできる台紙を提案しています」。
 こうなると、その組み合わせ数は数万種類に上り、これら個別に対応するためには自社一貫生産でなければ難しい。このように一貫生産体制は多くのビジネスの可能性を秘めている。


真似されるオリジナル商品、開放特許との出会い

 「当社は企画ごとに対応した製品づくりを進めてきました。これは自社のオリジナル製品も同様です。しかし、企画アイデア勝負のオリジナル商品を、他社で真似され売られるケースもでてきており、何か防止策はないかと考えていました。そこで、葬儀の前撮り写真と専用の台紙とを組み合わせたオリジナルの『エンディングノート』を売り出す際に、特許の申請も試みたのですが取得には至りませんでした。オリジナル商品をどう守るかを悩んでいたところ、当社の仕事や方向性をよく理解してくれていた金融機関から『平成29年11月に知財活用ビジネスマッチングというイベントがある。参加してみないか』と紹介されました。「写真」というキーワードで探した資料の中に富士通さんの特許技術がありました」。
 その特許は「印刷コード埋め込み技術」。透かし印刷技術で写真の中にコードを埋め込み、専用アプリでこの写真をカメラで読み込むと、コードによりリンクされたwebサイトや画像、動画を表示する。



 「富士通さんとのマッチングの際に、目の前で技術を見た時は驚きしかありませんでした。こんなことができるのかと。次の瞬間、ビジネスの可能性が次々と浮かびました。『これなら、よそでやっていないものができる。しかもこの技術を使わないとできないことだから真似もされない』」。
 しかし、富士通は大企業。顔合わせの後「開放特許とはいえ、自由に誰もが使えるわけではない。使用許可の交渉をするにしても、当社のような少人数の会社は相手にしてくれないだろう」とあきらめ顔の木村取締役(木村 慶子)を呼び止めたのは、金融機関やあいち産業振興機構、商工会議所の人たち。
 「相手が富士通ではとても無理ですよ」というと「でも興味あるんでしょ?」。
 後ろ髪を引かれる思いがした。ビジネスの可能性は見えていた。
 「富士通の方は、開放特許はビジネスでもあるが社会貢献の側面もあり、広く知ってもらう、使ってもらうことに意義があるとおっしゃってくださりました。また、金融機関や支援機関の方々の支援の申し出もあり、『やれるところまでやってみよう』と進めることにしました。金融機関は融資で財務的なバックアップを、あいち産業振興機構は契約に関するバックアップをして下さいました。特に、契約についてはとてもハードルが高かったのですが、内容がわからない部分について納得するまで丁寧に噛み砕いて説明してくださるサポートを得られ、非常に大きな後押しとなりました」。
 こうして平成30年3月に富士通へ訪問、5月には特許使用契約の締結とトントン拍子で進んだ。


特許を活用し「真似されない」ビジネスへ

 この開放特許を活用してできたのが命名台紙。見開きの左側に命名紙、左側にL版大の縦・横1枚ずつの写真が貼られる。命名紙には透かし技術でコードが埋め込まれた写真も印刷されており、これをスマホの専用アプリで読むと産声を上げた瞬間などの動画を呼び出すことができる。QRコードでも同様のことは可能だが、コードがむき出しでデザイン性が大きく損なわれるのに対し、この技術であればそうした意匠面での課題もクリアできる。



 「この技術のさらなる活用として葬儀社との企画も進めています。例えば予め伝えたいことを生前に動画などで残しておけば、遺影にスマホをかざすことで、自分の葬式に自分が挨拶することも可能になります。葬儀社としては、生前に予約を確保するための営業ツールとして活用することもできます」とビジネスの可能性を見据える。
 「様々な方のサポートにより開放特許を活用するビジネス展開ができるようになりました。これにより従来とは違う業界からの反応もあり、いろいろなビジネス展開に対してハードルが低くなったように感じます。新しいビジネスについても独自の特許申請も計画しています。少人数の会社ですが、当社ならではの展開がまだまだできそうです」と手応えを感じる木村社長である。


取材・文 有限会社アドバイザリーボード 武田宜久