1939年(昭和14年)10月、現社長福谷正男氏の父親が名古屋市東区で創業、戦後、現在地の菓子問屋が集まり、材料や機械、情報などが多い名古屋市西区明道町(当時の町名)へ移転した。 再スタート当時から昭和40年代までは「作れば売れる」時代であった。
この頃は、いい見本を作ると、密集する菓子問屋が争って自社のネットワークを使い、全国に向け売ってくれていた。作れば売れ、自社の営業は不要であった。
そんな時代であっても、創業者は「よそにはない『豆福ならでは』といってもらえるものを」と、原料、製造方法を吟味し付加価値のある、当社独自の商品作りに力を入れた。今で言う「ブランド化」への取り組みである。
その結果、ヒット商品ができあがる。「山海豆」である。
北海道産の「袖振大豆」に滋賀県産のもち米の粉「寒梅粉」をまぶして香ばしく煎り、しいたけや昆布などでとったダシで調味した後、有明海産海苔やトロロ昆布で巻いた「豆海苔巻き」である。「日本の伝統食材を全部組み合わせた豆菓子です」と福谷社長。
山海豆の噂は、銀座の高級クラブにまで広まり、わざわざ名古屋まで買い付けに来る客まで現れた。この山海豆、現在でも一番の人気商品である。
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