「おいしく安全な豆菓子」を。信頼性こそがブランド
福谷正男 記事更新日.08.04.01
合資会社豆福商店 代表取締役
■問合せ先
合資会社豆福商店
〒451-0043 名古屋市西区新道2−14−10
TEL 052-571-4057(代)  FAX 052-571-4138
http://www.mamefuku.co.jp/
名古屋市西区新道(しんみち)一帯。1994年の町名変更までは「明道町」として親しまれ、菓子玩具問屋が密集する地区である。この地区の裏通りで戦後、豆菓子を製造販売し続ける会社が合資会社豆福商店である。吟味した材料を使うことでは定評があり、全国に多くのファンを有する。

■吟味した材料でヒット商品

1939年(昭和14年)10月、現社長福谷正男氏の父親が名古屋市東区で創業、戦後、現在地の菓子問屋が集まり、材料や機械、情報などが多い名古屋市西区明道町(当時の町名)へ移転した。

再スタート当時から昭和40年代までは「作れば売れる」時代であった。
この頃は、いい見本を作ると、密集する菓子問屋が争って自社のネットワークを使い、全国に向け売ってくれていた。作れば売れ、自社の営業は不要であった。

そんな時代であっても、創業者は「よそにはない『豆福ならでは』といってもらえるものを」と、原料、製造方法を吟味し付加価値のある、当社独自の商品作りに力を入れた。今で言う「ブランド化」への取り組みである。

その結果、ヒット商品ができあがる。「山海豆」である。
北海道産の「袖振大豆」に滋賀県産のもち米の粉「寒梅粉」をまぶして香ばしく煎り、しいたけや昆布などでとったダシで調味した後、有明海産海苔やトロロ昆布で巻いた「豆海苔巻き」である。「日本の伝統食材を全部組み合わせた豆菓子です」と福谷社長。

山海豆の噂は、銀座の高級クラブにまで広まり、わざわざ名古屋まで買い付けに来る客まで現れた。この山海豆、現在でも一番の人気商品である。

■豆菓子の可能性

「豆菓子は素材の選び方から調味法まで、無限の可能性を持っているのです」と福谷社長。

豆の種類、衣、調味方法、仕上方法等、様々な組み合わせが可能である。
例えば、豆の種類では、大豆、落花生、えんどう豆、そら豆、ナッツの他多数の種類があり、また、大豆だけでも青豆、黒豆など様々な選択肢がある。さらに、積極的に国内の地大豆の発掘も行なっている。加えて、衣では青海苔や桜えび等、調味方法では、たまり、ゴマ、カレー、さとうがけ、しょうが、青じその他、多様な選択肢がある。さらに、その外を海苔で巻く、あるいは、チョコレートコートするなどの仕上方法もある。これら要素の掛け算と考えると、その組み合わせは無限といってよい。

 現在では、商品ラインナップも季節商品を入れると、約70種類を数えるまでになった。

しかし、こうした商品開発は競争力をつけるための方法にしかすぎない。
「豆福」というブランド力の根幹は、自給率が5%未満といわれる現在に至っても、風味が優れ、甘みのある国内産大豆のみを使用し、安全・安心な材料、調理方法を徹底的に吟味し『豆福のものなら間違いない』という安心感である。

■百貨店から出店引き合い、その秘密

「作れば売れた」時代は過ぎ去ったが、山海豆のヒットにより、口コミで顧客を増やすことに成功、1981年小売店舗を開設し、1984年、名古屋で名古屋城博覧会が開催されたことを機に小売業の本格的な展開が始まる。1988年には隣地へ店舗拡張を果たすまでになったが、大通りからは1本入った裏通りであり、立地としては決して恵まれたものではなかった。立地の不利さを補うには、プロモーション活動は欠かせない。新製品や季節商品の紹介を行う年5回のDMの送付先は1万顧客を数える。楽天へも出店しているが、プロモーション活動として6000の読者を有するメールマガジンも週1回発行し続けている。

しかし、来店客からは「名古屋駅から少し遠い」「車で来たが一方通行でたどり着くのに大変」などの声があったため、2000年の高島屋名古屋進出の際、初のテナント出店を決める。これを皮切りに、2001年には松坂屋からも是非にとオファーがあり出店、さらに2007年4月には新宿高島屋全館改装時にも乞われて出店。本店と併せ現在は4店舗となり、売り上げの2/3が小売部門にまでなっている。

これほど、百貨店からの引き合いが多い秘密は何か。

「おそらく、自社工場を持っていること、それから積極的に商品開発を行っていることではないでしょうか。豆菓子市場は小さく、それゆえ有名店でも自社生産では採算が合わず、OEM商品に頼っている企業もあると聞きます。当社のように70種類ほどのラインナップを持っているところとなると、ほとんどないのでは。さらに、自社工場を持っていて、直販売場も持っているので、お客様の反応から、商品の改良も可能ですし、売れ具合からギフト商品などの提案もできる、という強みもあります。おそらく、この辺が高く評価いただいた点ではないでしょうか。」

同業の多くが小規模ゆえ、販売は卸などに任せてしまっていた中、当社は製造直販という形をとっていたため、顧客動向をつかみながら商品開発をすることができた。言い換えれば、マーケティング力を背景にした商品開発力により、優位性・競争力を持つことができたといえる。

■安全性確認のためには社長自らが現地まで

当社では可能な限り国産豆を使用しているが、国産では手に入らない一部材料については中国から輸入をしている。完熟そら豆(黒くなり完熟して硬くなったそら豆)は日本では完熟するまでに虫が喰ってしまい穴だらけになってしまう。そこで当社では張家口産の完熟そら豆を使用している。張家口は緯度が津軽海峡程度、高度は1500mクラスの高地で、もともと虫がいない土地柄である。したがって、農薬を使う必要もないし、また、使おうにも、経済的にまだまだ恵まれない状態で、買うことも出来ない。「中国産」と聞くだけで拒絶反応を示す顧客に説明をするため、社長自らが産地へ足を運び、安全性を確認した。現地では「メーカーで訪問された方はあなたが初めてです」と驚かれた。
自分の目で見て確認した安全性について、レポートにしてパンフレットを作成、不安を持つお客様へ丁寧に説明することにしている。「豆福では原材料を味だけでなく安全性まで吟味していることを理解していただくためには、時間を惜しみません。口に入るものを扱うのですから、豆福なら間違いないという信頼感が最も大切だと思っています」。この信頼感こそがブランドである。
取材・文 有限会社アドバイザリーボード 武田宜久