岡崎の八丁の地で350余年、味を守り続ける長寿企業
早川久右衛門 記事更新日.08.12.04
合資会社八丁味噌 代表社員
■問合せ先
合資会社八丁味噌
〒444-0151 岡崎市八帖町字往還通69番地
TEL 0564-21-0151(代)  FAX 0564-25-0513
http://www.kakuq.jp/home/
■19代・350余年に渡り味と製法を守り続ける
通称「名古屋めし」。2005年万博を機に全国へ広がった中京圏の独特の食文化である。手羽先、ひつまぶし、天むす等が全国区となった。そして名古屋めしの特徴の一つとされる「味噌文化」。味噌煮込みうどん、味噌カツ、味噌おでん、どて煮なども全国へ紹介された。
「味噌文化」の一翼を担う「八丁味噌」の味を19代に渡って守り通しているのが、合資会社八丁味噌である。

合資会社八丁味噌の代表は19代当主の早川久右衛門氏。1645年(正保2年)の創業以来、八丁味噌の伝統的な味・製法を350余年にわたり伝え続けている。

八丁味噌は、徳川家康生誕の地である岡崎城から西へ八丁(約900m弱)離れた八丁村で、味噌の仕込みを始めたのがその名の起こりとされる。

材料には粒のそろった丸大豆と食塩、水のみを使う。蒸した大豆を味噌玉にし、種麹を付着させ室(むろ)で発酵。これを水と塩を攪拌器で混ぜ合わせると、味噌のもととなる「もろみ」ができあがる。これを杉の木桶に仕込み、フタをし、その上へ3トンもの石積みをする。石積みは近隣の矢作川で拾い集められた石を使う。「石積み10年」とも言われる職人技で、未だかつて地震で崩れたことは一度もないとのこと。石積み後は約2年の間、温度調整をしない天然醸造でじっくり熟成する。石積みを重くすることで桶の下方に偏りがちな水分を均等にすることができる。また、固仕込みをすることで、熟成期間が長くなり、その分安定した長期保存が可能な味噌となる。長期保存性から、三河武士の兵糧としても愛用された他、大戦中には軍需食として重宝がられ、当時は蔵が空になってしまったとのことである。

■時代とともに機械化も。守るべきものと変えるべきものとは。
従来の人海戦術による製法を大きく変えたのは1980年。大幅に機械化を図り省力化を実現させた。

「これは人海戦術で材料や味噌を運んでいたのを、ベルトコンベアで移動させるというような製法の見直しで、味に根本的に関わるような材料や豆の蒸し方など根本的なところを変えたわけではありません。それでも移行には時間をかけ、味が変わっていないか確認をしながら進めました。製法自体は何百年もの積み上げで洗練されているわけですから、変える必要もありません。一時、バイオ技術を活用して2年の熟成期間を半年にするという話が出ましたが、これで味が変わってしまっては本末転倒です。確かに、半年で熟成すれば、生産効率が上がり経営上のメリットもありますが、これは作り手の理屈。そのような味噌に対し、ユーザーにどのような価値を感じていただけるかというと、非常に疑問が残るわけです。昔ながらの製法で守ってきた味を提供することに、当社の価値があるのではないかということに行き着いたわけです」。

■伝統の味を守った上で、積極的な用途開発を
昭和32年には「使いやすく、食べやすい」ことを目指し、八丁味噌に米味噌を加えた「赤だし味噌」を開発しました。調合味噌と呼ばれるもので、米味噌を混ぜるので単純計算で生産量が増えるため、売上増に貢献することになった。「ただ、『赤だし八丁味噌』というネーミングで大きく拡販したため、一般の方は八丁味噌と赤だし味噌とが混同してしまったことは、消費者に誤解を与えた、と感じ、今では両者をはっきりと区分した商品名に改めました」。

仕込から熟成まで約2年、ということはその間資金繰りの負担もさることながら、2年後の売上金額が決まってしまう、ということにもなる。こうした経営上の問題に対しては、積極的に用途開発を進めることで新たな付加価値を生む商品にしていきたいと考えているとのこと。

「さまざまな企業とコラボレーションし、味噌かつ用の味噌ダレや味噌煮込みうどんはもちろんのこと、味噌カレー、味噌ハヤシ、どて煮カップの他、かりんとうやキャラメル、味噌饅頭、八丁味噌プリッツなどのお菓子類や期間限定でしたが岡崎八丁味噌ラガービールまであり、様々な可能性も模索しています」。

■突然訪れたスポットライト。「純情きらり」は知名度アップに絶大な効果
2006年4月、半年間に渡って放映されるNHK連続テレビ小説「純情きらり」の舞台として一躍脚光を浴びることになった。ジャズピアニストを目指す主人公の女性が、ふるさとの岡崎の老舗味噌屋に嫁ぐ奮戦記である。主演の宮崎あおいはこのドラマを足がかりに大河ドラマの「篤姫」主演女優として一気にスターダムを駆け上がることになる。

少女のころのエピソードと嫁いでからの舞台として、2度当社の味噌蔵などでロケが行われた。この宣伝効果は絶大。

味噌蔵を改造した資料展示館「八丁味噌の郷」を訪れる観光客は倍以上に。「東京から女の子2人が自転車でやってきたのには、さすがに驚きました」と早川社長。「それまでは『八丁味噌という名前は聞いたことがあるが、どこで作っているかはよくわからない』という声がほとんどで、そこまでして来てくれるなど以前では考えられないことです。ドラマをきっかけに知名度は一気に上がったのを実感しています」

■地場産業の「つなぎ手」として
「19代当主としては経営者というよりも『つなぎ手』という意識の方が強いのです。企業存続のためには利益も大切だとは思いますが、それよりも大きな『100年・200年後、当社が、そして、地域で八丁味噌を作り続けているためにどうすべきか』という課題を背負っていかねばと思っています」。

同じ材料で同じ製法をとっても、別の土地で作ったものは、味も違ったものになってしまう『蔵ぐせ』があるのが味噌なのだ、とのこと。

 だから、と早川社長は続ける。
「『蔵ぐせ』のある味噌作りだから、八丁という土地で長年築き上げられた味と製法あってこその『八丁味噌』なのです。八丁村に根付いて、伝統の方法を守り八丁味噌を作っている会社は、江戸時代も現在もカクキューとまるやの2社なのです。2社の長い歴史の中では、仲の悪かった時期もあったようですが、現在は組合を作り、自治体や商工会議所の応援も得ながら地場産業を守っていこうという取り組みをしています。ですから、味・製法も含め、岡崎の地ならではの特徴を持つ地場産業として『八丁味噌』という名前を守っていかねばならないと感じています」。

取材・文 有限会社アドバイザリーボード 武田宜久