昭和21年、戦後あらゆる物資が不足する占領下の日本。当時、原料不足から石鹸も非常に品薄状態であった。廃油を分離し、石鹸を製造する技術を持っていた志水徹男社長は廃油を安く調達するルートを開拓し、石鹸製造業を創業する。「廃油を分離し、良質の部分は食用油として、それ以外の部分を洗濯石鹸にして製造販売していました。どちらも品薄状態でしたので当時はとても儲かったようです」と語るのは、創業者の徹男社長の長女で、現株式会社フタバ化学社長の志水双葉氏である。
販路としては、富山の置き薬の販売方法を参考に、各家庭に洗濯石鹸を置いてもらい、使った分だけを代金回収する「配置販売方式」を採用した。『店で買っても、持って帰るのが大変』という主婦にとっては、自宅へ訪問し補充してくれるため大変好評で、昭和36年には「株式会社フタバ化学」として法人化、翌年にはこの販売システムをFC化するなど成長を続けた。また、早くから天然油脂を原料とした『自然派商品』の開発など『独自性』を重視した取組も積極的に行なった。最盛期にはFCで500店舗規模へ拡大、製造ラインも当時では最先端の工場を建設するまでになった。
しかし、共働きなどで昼間は留守宅が多くなるなど「配置販売方式」というビジネスモデルにほころびが生じる。そこで、売上高の確保を狙い、当時台頭してきた大型スーパーとの取引を開始するも、特売の目玉商品となることが多く、値下要求と大手メーカーとのコスト競争にさらされ、採算ラインに乗らず、企業として非常に厳しい状況に追い込まれるまでになってしまう。「どうしようもなくなり、かろうじて採算ラインにあったボディ洗いなどの化粧品系の製品だけを残し、他の事業はすべて中止し、大規模なリストラを余儀なくされることになりました」と当時を振り返る志水双葉社長。
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