昭和23年名古屋市中央卸売市場で漬物部仲卸として個人創業後、昭和34年に法人化。経営規模の拡大とともに販売網も拡大、東京、金沢、静岡の他、県内では小牧、豊川などにも営業所を開設する。
しかし、展開先の中には地元でしっかり根を張ったライバル企業に勝てないケースも出始める。漬物は地元の生活者の口になじんでおり、参入者は苦戦を強いられた。「このビジネスは地元に密着こそが強いビジネスモデルとなる」と感じた日比野社長(当時)は営業所を徐々に閉鎖、地元でのビジネス展開に集中した。知多半島の人口は60万人ほど。当社のビジネスのパイとしては充分なボリュームがあると判断していた。地元でのビジネス展開を強化するため「地産地消」へ力を入れ始める。「その土地で育ったものを、その土地で育った人が食べる。幸い知多半島は多くの農産物があり、その点では商品開発に非常に有利でした」と日比野会長。今でこそ「地産地消」ブームであるが、これは今をさかのぼる、10年ほど前のことである。
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