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成長の原動力はチャレンジのステージ作りとそれに応える社員達
松尾 輝男 記事更新日.11.03.01
株式会社 松尾製作所 取締役社長
■問合せ先
株式会社 松尾製作所
〒474-0001 大府市北崎町井田27番地1
TEL 0562-48-5070 Fax 0562-47-5189
http://www.kk-matsuo-ss.co.jp
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■多岐にわたる自動車部品を金属加工・樹脂成形で作る部品メーカー
戦後、線ばねメーカーとして創業後、板ばね、精密プレス加工、樹脂インサート品、さらにそれらの複合加工品へと事業領域を拡げる自動車部品メーカー株式会社松尾製作所。
その部品も電子制御燃料噴射システム部品、スロットルボディ部品、ハイブリッド専用ブレーキ部品、ABSシステム部品、ドアロック部品、カーナビ部品、ホーン部品などの自動車部品や、ビデオ・カメラなどの家電製品等多岐にわたっており、日本だけでなくアメリカ、ベトナム、中国へも展開を拡げる。

開発段階から部品メーカーと共に取り組み、製品設計、金型設計・製作、試作、量産加工までの一貫生産体制をとる。技術・ノウハウの蓄積による自社開発の専用生産設備とCADを活用した一貫生産体制のスピード対応を強みとして、質・量の安定生産とコストダウン、品質保証体制を確立した。
設計から製造までのトータル提案により、メーカーからの一社購買を実現した自動車のクラクション部品もあり、その信頼も厚い。
現在600名を超える規模にまで成長した裏には、常にチャレンジを奨励する社風があった。

■「神は決して見捨てない」と将来を信じていた創業者
昭和23年、ばねメーカーで技術者をしていた現社長の松尾輝男氏の父親が独立。
「父はエンジニアでしたので設計や得意先との交渉は得意だったのですが、メーカーに肝心の『ものづくり』の経験がなく、当初は相当苦労したようです。電話1本、自転車1台しかない町工場でしたが、創業者が語る将来の夢には不思議なカリスマ性があり、話を聞くほどに実現できそうに思えてきたのです。クリスチャンでしたので『神は決して自分を見捨てない』と信じており、自らの将来に大きな希望を持っている人でした。小学校4年生の私も工場にかりだされ父の手伝いをすることになりました。器用だったこともありますが、工業高校へ行く頃にはすでに旋盤や工作機はお手のもので、友人の宿題を代わりにやってあげられるまでに鍛えられていました。」とスタート時の父親の苦労を思い出す松尾社長。

■線ばね事業で創業、重ねたチャレンジで現在の基盤を作る
創業時に手掛けた線ばね。線材を手動の巻機でばね状にすることで加工ができるので、設備投資は少額で済む。また、性能の良し悪しは『うまい設計』ができるかどうかにかかっていることも、エンジニアであった創業者には大きなメリットであった。創業後ほどなく、大手自動車部品メーカーからキャブレターに使用する精密ばねの受注を得ることになる。
その後モータリゼーションの到来とともに、部品メーカーからは、現在の月産3,000台から10倍の30,000台への対応を迫られる。それは手加工から自動機加工への移行を意味していた。しかし当時の国産機は精度が悪く、西ドイツ製のマシンを購入するする必要があった。
「このマシンは国産の10倍ほどの価格で、しかもアフターサービスなしでよければ売ります、という条件でした。資金的にも厳しく、輸入する商社に頼み込んで2年間の月賦払にしてもらい導入しました。当時の当社にとっては非常に大きなチャレンジでしたが、生産量は10〜20倍になり今の松尾製作所の礎を作ったといえます」。
その後生産量は拡大、技術力の向上とともに現在では精密機械用の高品質で複雑な形状のばねを月3,000種類作り続けており、現在も当社の大きな事業の柱となっている。

■時代と共に拡大する事業、続くチャレンジ
昭和40年代半ばには、線ばねに加え板ばねへの事業範囲も拡大する。
「当社の板ばねの技術は、時計会社から教えていただいたものが基礎になっています。当初は、導入したプレス機に時計会社からお借りした金型を取り付けて製品を作るのが精一杯の状態でした。実績を積み上げると金型の作り方まで教えていただけるようになり、次第に自社技術も鍛えられていきました」。
板ばね技術は、様々なプレス技術へと発展、現在では板材を様々な形状に打ち抜き成形する順送プレス品、プレスと曲げ加工を同時に行うフォーミングプレス品、絞り加工を行うトランスファープレス品などを手がけ、大きな事業の柱に成長した。
昭和50年代の半ばには部品の樹脂化が進み、金属加工技術しかない当社は危機感を感じ始める。しかし、金属部品一筋の当社に樹脂成形技術はあろうはずもない。そこで「ものまねでも何でもいいからチャレンジしよう」と無謀にも成形機を購入し研究を始める。
「当初はなかなか事業として成り立たず組合からは『そんな儲からない事業はやめてくれ』と叱られましたが、私は『投資が足らないから儲からないのだ。中途半端では成功しない』と考えチャレンジを続けました。その後、成形技術、金型設計技術などをモノにし、線ばね、プレスに続く第三の事業の柱とすることができました。今は『松尾製作所』らしい樹脂事業として、自社加工したプレス部品などへ、ガラス繊維を30〜40%含む絶縁性や熱に強いエンジニアリングプラスチックを流しこんだインサート成形も行なっています。

■自社技術インフラをフル活用した提案で一社購買を実現
こうした多様な技術インフラを背景に、自動車メーカーへの提案も行っている。
今では当たり前になっているエアバッグ。自動車メーカーはエアバッグを警音器スイッチの入っているハンドル中央部に設置しようとした。エアバッグを入れることにより空きスペースが減るため、警音器を鳴らす「ホーンスイッチ」の再設計を迫られた。コンパクト化に向け、樹脂や金属を組み合わせた精密組付部品を扱っている当社へ相談がなされた。それまでホーンスイッチは全く扱っていなかったが、形状や接点部を見直し、樹脂とプレス部品とを組み付けることでコンパクトな1部品化に成功。部品そのものの提案だけにとどまらず、製造工程での安定供給・コストダウン実現に向けた自社内での自動化、さらには一部品化により客先での組み付け工程も減らす、という総合的な提案として評価され、今では全ての車種に採用される部品となった。

■『障子をあけてみよ。外は広いぞ』の言葉に励まされた海外進出
「当社は平成6年に北米へ進出するのですが、豊田佐吉翁の言ったとされる『障子をあけてみよ。外は広いぞ』という言葉にはずいぶん励まされました。その後、ベトナム、中国と海外工場を設立しましたが、これらも当社には大きなチャレンジでした。海外工場へは20代の社員をどんどん送り込み、20代のうちに一度は海外赴任し『外は広いぞ』ということを実感してもらっています。日本が低成長の中、世界へ目を向けなければ取り残されてしまいます。若いうちからグローバル化を体感してもらうことは、これから松尾製作所を担う従業員には重要なことだと考えています」

■創業の原点に立ち返り、チャレンジを
「今年の年頭のあいさつで『創業の原点に立ち返り、チャレンジを続けよう』ということを掲げました。私の役割はそのステージをつくること、仕掛けをつくることで、それをどう利用するかは従業員個々のチャレンジ精神次第です」。
チャレンジのステージは様々な形で用意される。
長年使った旋盤機のオーバーホールに200万円かかるため廃棄する、という報告が上がってきた時のこと。社長は廃棄にストップをかける。捨てるぐらいなら失敗しても元々なので、1年かかってもいいから直してみないか、と。分解して再度組み立てたり、問題点を見つけ出し解決したりすることで、ものづくりというものの見直しになり、技術も高まる。そういう機械を見直すことで創業の原点にも立ち返ることにもなる。
「ただ、社員自身が、自らの手でチャレンジのタガをはめてしまっていることもありました。設備投資で社員自身が『本当はもうワンランク上の設備が欲しいが予算がないのでこれでがまんしよう』と考えていたのです。そうではなく、こういうチャレンジがしたいので、高価だがこの設備が欲しい、と言って欲しいのです。その上で予算があるなしは社長が決めることなのです。ものづくりについては自ら妥協するのではなく、理想に向かってチャレンジをしてほしいと思っています。社長の役割はそのステージをつくることですから」。

■受け継がれる『工場は物を作る処ではなく、人の働くところ』という教え
最初の輸入機導入後、さらに数台の設備投資をするころ、ようやく家業から従業員を雇う「会社」へ成長する。
「ところが、まだ家業の域を出ない当社へ就職してくれるような人は全くいませんでした。そこで九州で『当社はトヨタの仕事をしている』と求人し、何とか従業員を雇うことができました。ところが来てみてびっくり。何せ小さな町工場だったのですから。折りにふれ『こんな冷房も暖房もない小さな工場だとは思わなかった』『だまされた』と口々に言われたようです。ここで創業者はカリスマ性をまたも発揮し『今に見ていてくれ。夏はアイスキャンデー・冬はホットケーキのごとく、いつか世界に羽ばたく大きな会社にしてみせる』と夢を語り始める。不思議と皆はその話に引き込まれ、その気になってみんながついていきました。こうした約束もあったのでしょう、利益が出ると真っ先に『人を大事にすること』への投資を行いました。冷暖房完備の職場になったのはまもなくのことです。こうした精神は今も引き継がれ、従業員からの要望には極力すぐ対応するようにしています。当社の社訓は『工場は物を作る処ではなく、人の働くところである。経済といえば金銭ではなく、人が愉快に働く処からはじまる』ですので、社長の私が率先垂範しなければなりませんから」。

『自分はチャレンジのステージ作りをする。それを活かす社員によって当社は成長する』と語る松尾社長の言葉は、『工場は物を作る処ではなく、人の働くところ』という社訓の精神そのものである。そして、それは創業の原点であり、成長の原動力でもあった。

取材・文 有限会社アドバイザリーボード 武田宜久       

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