創業者の磯村清氏は戦前の高等専門学校を卒業後、トヨタに入社する。高等専門学校ではボイラーを専攻し、いち早く「機関士免許」を取っており就職は引っ張りだこであった。 「祖父は『当時、ボイラー管理の免許を持っているのは愛知県内で数人だった』とよく私たち家族に自慢していました」と振り返るのは現社長の磯村洋子氏。
終戦間もない昭和22年にボイラーメンテナンス業として豊安工業所を創業する。
ちなみに「豊安」は独立するときに大変お世話になったトヨタの重役・安田種次郎氏にあやかってつけられた社名とのこと。
当時のボイラーといえば手製に近く、しかも大型のものが中心で、爆発事故は大惨事を招くことになることから、手間や技術が必要なメンテナンスには、現在のアイシン精機をはじめとして多くの依頼が舞い込んだ。
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