名古屋扇子は、徳川将軍9〜10代の宝暦年間に、京都から現在の名古屋市西区幅下地区へ移住してきた井上勘造親子によって始められたのが、その起こりとされる。明治時代からは、中国・朝鮮半島への輸出により年1000万以上の生産高もあげるなど、一帯は名古屋扇子の産地となっていた。
当社の歴史はそんな大正元年、創業者の川瀬貞二郎氏が輸出向け扇子製造業「川瀬扇子商店」を開業することから始まる。
当初から輸出中心で、売り上げの90%が輸出が占められており、国内向けは10%程度であった。
「製造した扇子を輸出用の木箱に詰めたものを港へ持っていくため、非常に重かったということを聞いています」と語るのは三代目現社長の川瀬貞夫氏。
戦後もアメリカ、オーストラリア、ドイツなどへの輸出用量産型扇子を中心に製造していたが、昭和46年8月のドルショックで1ドル=360円が1ドル=308円時代を迎え、さらに変動為替相場制へ移行する中、急激な円高が進行し輸出が大幅減となってしまう。
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