1959年9月26日愛知県で5,000人以上の被害者を出した伊勢湾台風。名古屋市南部と隣接する海部郡南部(蟹江町、飛島村、弥富町、十四山村(現弥富市))まで水没、水没地がなくなるまで半年かかった地域もあるほどの大きな被害をもたらした。
株式会社M式水耕研究所の会長、村井邦彦氏も自分の農地が水没したのを目の当たりにし、呆然としていた。そこで見つけたのが浮き草の「ホテイアオイ」。
「浮き草は水だけで生きています。またそれを持ち上げると根まで全て持ち上がる。持ち上がるということは動かすことができるということです。作物は土地に根付き「不動産」であるという概念がありましたが、こうすれば「動産」になる、ということに気がつきました。これが全ての始まりでした。「動産」としての農業はできないか、と考えたのです。」と村井会長。
1967年から研究・実験を開始し、1970年に「M式水耕プラント」を発表する。
当初は「農業は土だ」という農家がほとんどで、水耕栽培は奇異の目で見られもしたが、作物によっては年10〜15回転するのを見て、目を見張った。
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