事業の拡大に伴い、愛知県にとどまらず、国内外に事業所を相次ぎ設けるなど、その動きも急である。
中国進出を決意したのはコストダウンという切り口である。
「当社に来ていた研修生に現場の中核を担ってもらうことにし、大連ではハーネスなどの部品の組立や制御盤の組立・検査、筐体の板金〜塗装を行う製造会社を、青島では現地での据付工事まで行う現地法人を設立しました。これにより、中国で生産した筐体や部品を日本へ輸入し当社が制御盤の生産をするケースや、現地で組み付けた配電盤を日本へ輸入するケース、さらには中国で組み付け中国へ納品するケース、中国で組み付けヨーロッパへ輸出するケースなどコストダウンだけでなく多様なニーズに対応することができるようになりました。また、日本で製造した機械を中国へ納品するケースでは、当社の日本語を話せる中国人スタッフが中心になり据付工事を行うこともできます。日本語での打ち合わせもできますし、通訳も不要になり、納品される際の日本企業の人的な負担やコストを減らすことが可能となります」。
さらに大震災の直後、福島にも事業所を設けた。
「2011.3.11の地震の時、自分にも何かできないかと4月に福島いわき市へ行きました。そこでわずかでも現地の力になれることはと考えた結果『雇用を作ることしかない』と、現地事務所を立ち上げることを決め、その場で事務所の賃貸契約を結んできました。復興事業目当ての進出ではないことは驚きや感激を持って受け入れていただいたようで、多くの方にご協力をいただくことができました。経験者の方を雇うことができ、現在では部品の製作だけでなく制御盤もできるようになり軌道に乗ってきました。現在『福島発』で被災者の経験を活かした防災製品の開発を始めています。福島を安全・安心のブランドとして世界に向けて発信できればと考えています」と未来に向け熱い思いを語る石田社長である。
|