企業ルポ 翔 魅力ある愛知の中小企業
経営戦略レポート
海外支援
中小企業支援等レポート
技術の広場
あいち技術ナビ
あいち産業振興機構中小企業支援
海外駐在員便り
時代の目
特集(トピックス)
企業ルポ
翔 魅力ある愛知の中小企業
あいちの製品ProductsAppeal
経営革新に挑戦する中小企業成功事例集
創業企業に聞く
支援企業に聞く
お店訪問 繁盛の秘訣
科学技術は今
ホームページ奮闘記
スペース
スペース
経営相談Q&A
労務管理Q&A
資金調達Q&A
組織活性化Q&A
環境対策Q&A
省エネQ&A
経営革新Q&A
窓口相談Q&A
IT活用マニュアル
IT特集
どんどん使ってみようWindows Vista
IT管理者お助けマニュアル
ネットワークお助けマニュアル
セキュリティお助けマニュアル
お助けBOX
補助金助成金一覧
施策ガイド
「ネットあいち産業情報」更新をお知らせします!
  トップ > 企業ルポ 翔 魅力ある愛知の中小企業 > 菱輝金型工業株式会社
自立に向け挑戦し続ける町工場、
航空宇宙産業で世界へ翔ぶ
原 康裕 記事更新日.13.02.01
菱輝金型工業株式会社 代表取締役
■問い合せ先
菱輝金型工業株式会社
〒491-0837 一宮市多加木2丁目8−21
Tel 0586−71−6792   Fax 0586−71−7629
http://www.ryoki.co.jp/
印刷用ページ
 

航空機機体や接合部などの重要な部品が日本企業製であり、まさに「準国産」とも呼べる最新鋭機、ボーイング787。日本製部品の多さから「made with Japan」などとも言われる。胴体や翼及び中央翼などの構造部材に炭素繊維を使用し話題となった。こうした炭素素材成型用の治工具を製造するのが菱輝金型工業株式会社である。

特殊な低熱膨張合金を素材とした治具の製造では世界トップレベルの技術を持ち、国内のみならず海外の航空機メーカーへも納入する。工場には長さ11mの特殊合金素材を0.05mmの精度で加工した治具がずらりと並ぶ。



■自動車用プレス金型事業の将来に不安、新たな挑戦へ

当社は、1954年原鉄工所として創業、1967年金型部を分離し菱輝金型工業鰍ニして設立された。当時は自動車の足回り部品やインナーなどに使われる部品を作るプレス金型を作成していた。
1991年現在地に移転した後、自動車の生産拠点が海外移転する状況で、現状のように自動車部品用プレス金型のみに依存することの危機感が芽生える。

「自動車向けプレス金型だけに依存してしまうと、『次の仕事』を探すときに『新しい技術や新しい素材、産業分野』という発想ではなく『次の車種は何?』という発想に固まってしまいます。そこで、受注していた仕事を全面的に見直しを図り、さらには同じ自動車でも開発に近い『試作開発部品製造』へチャレンジしました。」と二代目社長の原康裕氏。



「素材も当初は鉄でしたが、その後アルミが中心となり、切削で削り出すというオーダーも加わっていきました。当時は適切な切削ソフトがまだなく、ドイツ製の同時5軸加工用ソフトを購入しました。高価なソフトでしたが、新しいことへ挑戦するのですから、それに見合った人材やツールを揃えたのです。苦労もしましたが、こうした新たな加工技術を社内で育てることで、今では高精度と意匠性を要求される自動車のドアやボディなどの大型金型を任せられるようにまでなりました。」

色々な新たな事業分野を模索していた同時期に電子部品を基盤に供給するチップマウンターヘッド部品を手がけたことがある。
「それまで鉄しか加工したことがなかった当社にはアルミの切削加工技術が大きな壁となりましたが、運良くアルミの切削技術や工具の選定などに力を貸してくれる方が現れ、当社の技術とすることができました。」

この新たな技術的挑戦こそが先ほどの試作金型や、後の航空機向け治工具、航空機本機部品製造へとつながることになる。
「その当時、お力を貸していただいた企業の社長様:常務様には心より感謝しています。」と原社長。


■苦労の末、航空宇宙産業へ参入

「航空宇宙産業への参入は楽ではありませんでした。最初の営業はアポイントもなくいきなり航空機メーカーへ行ったのです。最初に訪問した受付門で断られたため、残りの受付へ次々と回ってみたのですが当然ダメ。今思えば当然ですが、全ての門で不審者扱いでした。そこで一計を案じ、そのメーカーと取引のある知り合いの企業で話を聞いてもらい、その協力工場という形で航空機部品の仕事をいただきながら信用を得た上で、そのメーカーへ同行させてもらえるようになりました。そこでようやく担当の方とお話をさせていただけるようになったのです。ある時、先方から『特急モノ』でよければ、とようやく直接お取引いただけるようになりました。ここまで3年かかりました」と2003年に航空機産業に本格参入をした当時の苦労を振り返る原社長。

B787の製造開発が始まったのは、ANAからの発注を受けた10年ほど前とされる。日本の航空機メーカーでも胴体や主翼、中央翼部分を炭素繊維で製造することとなり、当社の取引先である航空機メーカーも参加する。そこで当社へ発注があったのがこうした胴体・中央翼部分を炭素繊維で製造するための治工具であった。

「受注にあたっては、製造工場の近隣でなければ参加できないのではという話もあり、早速事務所を開設しました。小さな事務所でしたが当社が航空宇宙産業参入に本気である、ということを示すための開設でした。これを見た航空機関係の設計・技術・営業・検査など、現在の航空宇宙事業の柱となるような人材が続々と当社に入社してくれるようになるなど、思いがけない効果もありました」。


■運命の特殊材料

オーダーを受けたのは熱膨張率が極端に低い特殊な材料を使用した複合材成形用の6m角の治工具の成型。
「当然、このような特殊な素材を取り扱ったことはありませんでした。そこで素材を作っている金属メーカーの方に指導をいただき、切削方法や溶接方法、損傷部分の補修方法などの技術指導や専用機の選定など様々な点で助けていただきました。何とか納品した結果、航空機メーカーからは『特殊材料ができる企業』と認知していただけるようになりました。特殊材料を加工できる企業はごく限られていたので、これ以後、大物・小物を問わずこの関連の治工具の取引が増えていきました。」

そんな時、製作上の大トラブルが発生する。
「あまりの出来事に取引先へ第一報は直ちにいたしましたが、すぐにはどう責任を取っていくのがいいのか相談できませんでした。2日間ほど悩み腹を決めました。『これは全面的に当社が全責任を負ってやり直します。』
取引先にこう話したところ、当方の覚悟を意気に感じていただけたらしく『これをやりとげてくれれば、今後も必ずパートナーとしてやっていける!』と応じて下さいました。素材メーカーも、通常3ヶ月かかるところ1ヶ月で素材を用意してくださり、当社は死に物狂いで加工し納品いたしました。もし、どの費用をどちらが持つなど、ダラダラ交渉していたら現在の当社はなかったのではないかと思います。社員の後押しで自分が腹を決めたことが、結果的に、こうした取引先からの信頼を得ることにつながりました。」と振り返る。

さらに、この経験が従来のプレス金型製造にも好影響をもたらし、とにかくお客様に信頼頂ける品質を提供できる企業になっていこうという機運が高まりました。


■結局は人、独立独歩の精神根付く

「取引先の信頼を得られたことも大きかったのですが、それよりも何より、大きな財産になったのは、トラブルを起こしてしまった部門の社員たちが、以後、仕事に対して真摯に取り組み、こちらも驚くほど大きく伸びたことです。 今では新しいことをする、という話があると真っ先に手を上げるようになりました。

こうした雰囲気ができてくると全社的にも伝わり、営業も大手企業からの要望でも対応が難しいことはしっかりと交渉し、場合によっては取引を辞退するという決断もできる担当者もでてきました。自分が一社依存に安住せず、新しい技術・新しい事業へと外へ目を向けていき航空機産業に着手したときのような、こうした独立独歩の精神が社員にも育ってきたのです。こういう人材が育つと、社員自らがどうやって自分たちが生きていくかを考えるようになり、新たな事業に着手することができます。結局は人です。責任を持って仕事ができる人が育てばどれだけの財産になるか、痛感しています」と原社長。
社員のみんながお互いの仕事に感謝し、協業し、チャレンジしていくことが一番重要であることを実感しています。

現在、航空機治具や部品で売上の6割、残りの4割は自動車の大型金型や意匠性金型などが占める。
「今後も自動車向け大型プレス金型、航空機炭素繊維成形治工具に特化するため、新しい技術に挑戦し続けます。目の前の仕事を『どうやろう』と考え続けるだけでなく、新しい挑戦を探し『何をしていこう!』と考え続ける企業でもありたいと思っています。」




 

取材・文 有限会社アドバイザリーボード 武田宜久       

あなたのご意見をお聞かせください
この記事を友人や同僚に紹介したいと思う
参考になった
参考にならなかった
 
Aichi Industry Promotion Organization
財団法人あいち産業振興機構