アイ・セプトのような、ITの制作会社とコンサルタントとの双方の視点を持つ「インターネット戦略支援」というコンセプトが生まれた背景には入谷社長の経歴が深く関わっている。
平成3年、株式会社プロトコーポレーションにデザイナーとして入社。印刷物のデザインを足がかりにWEBなどのメディアプロデュース全般までを手がけるようになり、瞬く間に社内ではトップアートディレクターとなる。
「『絵』関係の仕事ではトップになったのですが、デザイナーという職種柄、お客様と直接関わりをもつ機会はほとんどなく、仕事の手応えとしてはどこか物足りないものを感じていました。『デザイナーだけ』では終わりたくない、という思いがあり、心機一転、思い切って転職することにしました」
こうして平成17年、WEB関連の企業へ営業職として転職。
「次の会社では、配属された拠点に営業の先輩も上司もおらず、完全に手探り状態からのスタートでした。そこで、顧客企業候補リストの企業へひたすら電話をし続けました。書いてあった電話番号が総合受付だということも知らず『仕事をください』と言っていましたので、電話で応対された受付の方はさぞかし面食らったことだろうと思います。何件も断り続けられたある日、『そういうお話でしたら営業企画へおかけになられたらいかがですか』と教えてくださり、それからは営業企画のような部署の電話番号を調べて電話し続けました。それでも断り続けられた日々でしたが、ある会社でようやく『おもしろい方だね、一度会いましょう』とおっしゃってくださった方があり、ようやく営業らしい仕事ができるようになりました。こんなひどい営業のやり方でも『一旦やると決めたらとことんやり続けると何かが起こる』ものです」
持ち前の粘りで次第に営業としての頭角を現し、企画部隊や開発部隊のマネージャーも任されるようになり、入社1年目の年末には名古屋拠点の責任者に、最終的には東海圏・関西圏のエリアマネージャーと福岡・札幌のアドバイザー等の複数の役職を兼任するまでになった。しかし、この後リーマン・ショックとなり、仕事も激減、マネージャーとしてリストラを推進する必要に迫られる。苦渋の中、人選をして説得をする損な役回りであったが、誠心誠意、言葉を尽くして対応した。拠点のあった地方へ出張すると、リストラをした社員から飲み会の誘いが入るなど、強固な絆は今でも続いている。
こうした事業再生に携わる中「これが一段落したら、今度は自分で事業を行おう」と考えるようになる。
メディアプロデュース、WEB関連の新事業の営業・企画・開発とインターネット関連の仕事を様々な角度から経験し、依頼主と制作会社とのミスマッチの現場を多数目の当たりにしてきたことから、両社の架け橋となり、より深く顧客のふところに飛び込むことでより満足度の高いサービスを提供する「インターネット戦略支援」サービスは必ずニーズがあるはずだという確信を持っていた。
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