現社長の二宮英樹氏が入社したのは1997年。中国をはじめとする海外調達の動きが大きくなり始めていた時期で、稼働率確保に重点を置きすぎた結果、付加価値の低い仕事が大半となり業績も右肩下がり閉塞感が漂っていた。
「鋳造は設備産業の側面があり、設備はその企業の戦略が如実に表れます。当時の4ラインあった生産設備は、よく言えば『融通が利く』もの、逆に言えば『特徴や強みのない』ものでした。『オーダーで出してもらえるものはできるだけ幅広く拾っていく』という受注形態がよく表れており、簡単だが付加価値も低い金属加工メーカーからの下請け仕事が大半でした。したがって、仕事の質を変えるには、将来を見据えた上での設備投資が必要だと考えたのです」と当時を振り返る。
折しも時代は「アウトソーシング」が進みつつあり、自動車メーカーも自社内での鋳造を社外で生産する体制づくりを始めていた。「自動車メーカー側のアウトソーシングの動向を調べてみると、実際に鋳造の移転を検討していることがわかりました。すでに移転先の想定もされていたようですが、その企業の設備ではうまくマッチせず、再度移転先を探すことになる可能性が高いことがわかったのです」。
移転が検討されているのはトランスミッション部品とターボチャージャー部品。 |