業歴160余年の老舗、守る伝統と自社らしい変革

代表取締役社長 松井 公宏

記事更新日.2019.10

株式会社 御菓子所 まつ月

■問い合せ先
株式会社 御菓子所 まつ月
〒441-2524 愛知県豊田市黒田町尾知59−5

 業歴100年以上のいわゆる「百年企業」は全国に33,259社、愛知県内には1,758社しか存在しない(帝国データバンク「老舗企業の実態調査(2019)」)。創業時の主業から、所有する土地の賃料収入が増加し貸事務所業へと業種が変わったケースが多い中、1855年の創業時から稲武地区で8代に渡って菓子製造業を続けているのが、株式会社御菓子所まつ月である。名古屋中心部から車で2時間の山あいで代々の製法を守り続ける一方、古くから伝わる茶道のお菓子をベースに製法や配合を見直した月乃福福餅が「楽天市場 夏のスイーツグランプリ2015 総合グランプリ」を受賞するなど注目を集める。




多くの人の努力で続いた164年

 飯田街道は、三河湾の塩を信州に運ぶ重要な運搬路として栄え、別名「塩街道」ともいう。この飯田街道に「井桁屋」の名前で、初代松井友吉氏が菓子屋を創業したのは1855年のことである。当時、蕨は提灯の糊や荷物を縛るロープの役割の他、人が生き延びる為の食料としても利用されており、日本人にとって非常に身近で大切な物であった。この根を精製し作られる口溶けがよく独特の粘りを持つわらび粉で、本わらび餅を創作したのが井桁屋の始まりとされる。
 江戸時代から明治・大正にかけ、創業時のままの製法を守り続けているわらび餅を始めとして、せんべい、小麦饅頭、塩羊羹など和菓子を中心とした「菓子製造業」として営業を続けた。四代目は政治家を志し東京市長である後藤新平の書生となったため、その妻が店を守り抜き、昭和9年には井桁屋から松月堂へ改名する。戦争の激化により砂糖の調達がままならず野菜の種や苗などを販売して経営を維持した時期もあったが、昭和24年に砂糖が配給制になり、お菓子作りを再開させる。
 5代目松井幸三氏は、特産の柿を7年間天日寒風にさらし、甘みとコク、旨味を凝縮させた手間ひまかけた干し柿を原料にした「眠り柿ずくし」を創作、昭和28年に高松宮殿下へ献上する機会を得る。殿下からは「もう一度あのお菓子が食べたい」と村長を通じ度々ご注文いただいたとのこと。
 歴代店主を始めとした様々な人の努力の上に、創業164年という歳月は積み重ねられている。




160年を超える歴史で変えない伝統

 「原料七分、腕三分」。代々言い伝えられてきた言葉で、これには2つの意味があるとのこと。
 「一つは、いいお菓子のためには、いい材料を見極める経験と知識が必要であること。もう一つは、よい素材のポテンシャルを充分に引き出す原料づくりに時間をかけることです。高価で貴重な素材が必ずしも『いい材料』となるわけではなく、どのようなお菓子作りにはどのような材料がマッチするのかをトータルで見極め、そのポテンシャルを最大限に発揮させることが必要だということです」。
 例えば、創業時からつくり続けているわらび餅。
 「蕨の地下茎(根っこ)の部分を掘り起こし、その茎を砕いて粉にし、3年〜5年寝かしてつくります。長期間、カメで寝かせると独特の粘りや弾力がマイルドになり伸びやかになることから、創業時よりこうした時間をかけた製法を続けています。しかし、掘り起こしをお願いしていた農家の方が高齢化により減少したり、イノシシの被害も大きくなったりした結果、従来の産地でのわらび粉づくりができず、代替品も納得いくものができなかったため一時期販売中止にしていました。しかし、販売中止を残念がる声を多くいただいたため、代替品ではなく、以前よりも美味しいものを目指そうと考えたのです。自分なりに蕨のことを図書館で端から端まで調べ、可能性のある産地を見つけ、試行錯誤の末、水上産地の軟水がその産地の蕨のおいしさを一番引き出すことを発見することができました。その結果、納得のいくものとなり、わらび餅の製造を再開することができました。今後も『原料七分、腕三分』を守りお菓子作りを続けていきたいと思っています」と八代目の松井公宏氏。




160年の歴史の中で時代とともに変えるもの

 160年を超える歴史を積み重ねるには、伝統を守るだけでなく、消費者のライフスタイルの変化に合わせていくことも求められる。
 冬場の厳しい山あいで営業する当店には、雪が降り積もるなど条件が悪くて行けないという声が多く寄せられていた。何とかそういう方々にも届けられないか、と考え2008年にネット通販を開始した。
 「始める前は『通販でどこまで和菓子が売れるのか。身の丈に合わせた商売ができればいいのではないか』という反対もありましたが『いいお菓子を届けたい、そしてそれをビジネスと結びつけたい』ということは代々同じ思いですので、お客様のために何ができるかという一点で歩み寄ることができました。当初は周りもどうなることかと半信半疑でしたが、少しずつ売上が拡大するにつれ社内でも納得感が高まっていきました」。
 売上の3割ほどはネット通販を占めるまでになっており、時代とともにまつ月と消費者との接点のあり方も変わりつつあるようだ。

 「和菓子が中心の当社では、生菓子の消費期限は長くて2日でした。来店されるお客様に今日・明日の消費期限と言うと『そうですか・・・』と残念そうに日持ちのするお菓子を選ばれる様子を見るにつけ、何とかできないかと思っていました。また、配送時間が必要となる通販向けにも何とか消費期限が延ばせるお菓子ができないものかとも考えていました。しかし、それは素材のよさを活かし、保存料を使わないことを大事にしてきた当社の伝統とは相容れないものともいえます。保存料を使わず消費期限を延ばす方法として考えられるのは冷凍保存なのですが、これには『冷凍お菓子なんて、当社がやるべきものではないのでは』と反対する意見が支配的でした。しかし諦めきれず、いろいろなアプローチで考えた結果、冷凍工程があることでよりおいしくなる、というのであれば当社の素材のポテンシャルを引き出すということにもマッチするのではと考えたのです。そこで、冷凍保存という製造工程を経ることで餡と皮がなじんでもっちりする、という工夫をした商品を開発しました。これにより、日持ちニーズにも通販への対応も安全なお菓子がお届けできるようになりました」。
 このお菓子は「月乃福福餅」と名付けられ「楽天市場 夏のスイーツグランプリ2015 総合グランプリ」に輝くなど多くの支持を得ている。



「まつ月らしい」取り組みとは

 和菓子が主力の中にあって目を引くのがチーズケーキ「半熟チーズ」。
 「実は、五代目が90年前に作った配合帳(レシピ集のような記録帳)には、『チーズケーキ・オーダーべークスは赤ちゃんの食物としては勝るものがなく、小児のおやつにもよく、大人でもお菓子好きには茶菓子としてなくてはならないもの』などの記載をはじめとして、アップルパイやフルーツタブレット、ワッフル、ラスクなど、戦前の材料の手に入らない時期にどうやって知り得たのかと思うような、お菓子のレシピが並んでいるのです。あくまでも推測ですが、四代目は東京市長だった後藤新平の書生だったことから、こうした最新の情報が入ってきたのではないでしょうか。このように歴代の店主は、和菓子・洋菓子の区別なく美味しいものを提供したいという思いを持った『菓子屋』なのです。こうした思いをベースにし、今のお客さんに受け入れてもらえるように見直して実現しようと考え『半熟チーズ』は生まれました。地域や当店にちなんだ、足助塩を隠し味に使った『足助塩 半熟チーズ』と、創業からの看板商品であるわらび餅に使用しているきな粉を生地に練り込んだ『きな粉 半熟チーズ』の2種類をご用意しました。流行に左右されることなく、160年を超える歴史の中で紡がれたものをベースにした『まつ月らしい』お菓子を今後も作り続けていきたいと考えています」。




本物の日本のお菓子を中国で

 現在、北京への出店を間近に控えている。顧客である中国人実業家から「中国では『日本風』のものを『本物の日本』として紹介されてしまってとても残念だ。まつ月の本物の日本のお菓子を中国で見せてほしい」といわれたことがきっかけである。
 「最初はとても当社が中国なんて、と考えていましたが、何度か北京へ訪問するうち、日本のお菓子を楽しんでくれれば両国の架け橋になるのではないかと考えるようになりました。当初は試作品を持って調査へ行くも『甘すぎる』など受け入れられませんでしたが、現地流にフィットさせることで反応が良くなってきました。まつ月のお菓子作りをベースに現地で受け入れられるお菓子屋になっていきたいと思っています。大使館にも協力を仰ぎ、日本の器・お茶・お菓子で季節を体感してもらったり、ダシ文化をはじめとした日本の食文化を知ってもらったりするイベントも構想中です。様々な形で日本の文化を発信する手伝いになればと考えています」と豊田市の山あいから世界へ日本文化の発信を目指す八代目である。


取材・文 有限会社アドバイザリーボード 武田宜久