「品質と価格とのバランス」を求める市場に絞り込め

代表取締役 村田 直喜

記事更新日.2019.12

株式会社 MRT

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株式会社 MRT
〒454-0996 名古屋市中川区伏屋二丁目209番地

 企業の強みは様々。製造業であれば、高精度や難削材加工、あるいは「あそこに任せておけば不良は出ない」という信頼、「できないとはいいません」という技術力。こうした強みを「アルミ素材加工の『品質と価格とのバランスの良さ』」に求めたのが株式会社MRTである。職人仕事が必要となるような高精度加工はあえて狙わず、それでいて難精度・高品質加工を適正コストで数十個〜数百個単位の受注に特化、スマートフォン部品を加工するチップマウンターなど工作機械向けアルミ部品や航空機部品を製造する。




夜昼問わず磨いたアルミ加工技術

 株式会社MRTは、現社長の村田直喜氏の父親である村田明朗氏が名古屋市中川区で個人事業として1970年に創業したのが始まり。当初は前職の関係の木工機械部品を製造していたが、加工技術が評価され、自動車ライン用専用機メーカーからの特殊部品の受注が増えていく。
 村田社長が入社したのは1995年。
 「機械関連の部品製造を行う企業でアルミ加工を担当していました。就職してから3年ほど経った頃、父から帰ってこないかと言われ、いずれ後を継ぐのであればと考え入社しました。すると、学んできた技術を活かせるようにと自分専用のマシニングセンターを用意してくれていました。そこで、自分が得意としているアルミ素材の仕事を受注し始めることになります」と振り返る村田社長。
 しかし、その直後バブル経済後の不景気に突入、仕事が急激に減少していく。
 「そんな時、アルミ材料の仕入先からお声がけをいただき、車椅子の部品加工の仕事を始めました。最初は単なるアルミ加工だけでしたが、次第に社内の旋盤加工機などを活用した後工程の仕事へ幅広く対応することで受注量を増やし、程なく鉄素材の受注とアルミ素材の受注はほぼ同額となるまでになりました」。
 アルミ加工の受注が増えるにつれ、対応するための独自の加工技術も積み重なる。
 「アルミ加工は自分だけの工程でしたので、いろいろなチャレンジをすることができました。チャレンジがうまくいかなくとも、夜中や土日までかけて納期に間に合わせればよく、自分のことだけを考えて仕事が回すことができたので、技術を磨くのには恵まれた環境でした。増えゆく受注に対して、どうすれば品質を保ったまま加工時間を短くできるのかというタイムトライアルのようなこともしていました。鉄の加工は多くのライバルがいますが、アルミ専業はライバルもまだまだ少なく、付加価値も高かったので夢中になって仕事をしていました」。
 成果が出始めた頃には、品質とコストのバランスがよいと評判となり、さらにアルミ加工の受注量は増加した。現在では売上の90%が、チップマウンター向けをはじめとする工作機械や航空機向けのアルミ部品である。


最大の強み「品質と価格とのバランスの良さ」、その秘密とは

 秘密その1:高精度ではなく難精度が得意
 
 「当社はミクロンオーダーのような厳しい精度を出す超精密加工はウリにしていません。しかし、加工の難しいものは行っています。例えば、10mm±0.002mmという高精度の加工は得意ではありませんが、100mmの穴の公差0.01mmというような公差の絶対値は大きいけれど、被加工物の大きさから比較した割合としては小さいため難しくなる、というような加工です」。
 また、アルミやステンレスの大きなプレートの面削加工も、得意な「難加工」の一つ。
 700mm程度の比較的大きなプレート板の表面を削る面削加工をする場合、単純に面削をするとプレートがどんどん反ってくる。これはプレートの中で釣り合っていた内部から外への力と外から内部への力とが、外側を削ることでバランスを崩すため生じる。この時、プレートを真空吸付けで無理に固定して削ると、均等な厚さの反った材料ができあがってしまう。そこで、外側を1通り削りあえて内部応力を出し反った状態にした後、反ったまま平面に面削することで解決している。その際、材料メーカーや目の付き方、アルミの硬さごとに異なる摩擦熱などでも反り方は変わってくる。こうした、いろいろな要素を組み合わせ、時には冷凍チャックという自由に反らせた状態で凍らせ固定化した上で削る方法まで視野に入れて、最適な方法を見つけ5/100の平面度を出している。

秘密その2:アルミを知る企業だからできる加工ノウハウ

 「バランスの取れたコスト」の実現のためには加工時間の短縮が一つの課題となる。
 「入社後しばらく一人でアルミ加工を担当していた時期に様々なトライアルをし、ノウハウを身につけました。その結果、柔らかい素材のアルミならではの加工法もいろいろ確立してきました。当社では一定数のオーダーがある部品を加工する場合、大きな素材のブロックをまず小さなブロックに切りそれを加工する、という手順はとりません。大ブロックを加工物との干渉を最小限にした特注の専用工具を使用し、形状づくりと部品ごとのカットを同時に行う方法をとることで工程を減らしています。こうした柔らかいアルミ素材だからこそできる方法や工具の工夫に加え、それぞれに、当社マシンの剛性という制約条件下での回転速度や送り速度・切込量など最高の切削条件を経験上から編み出しています」。
 さらに、アルミ素材の加工の難しさは、加工だけでなく加工前後にもあるとのこと。
「アルミの取り扱いになれていない企業では、加工中の金属の取り扱いはもちろん加工後の取り扱いに配慮が足りないケースが多いようです。想像よりもアルミ素材は傷がつきやすく、加工後、不用意に新聞紙の上に乗せその上に微細なごみがあっただけでも傷がついてしまいます。また、加工マシンへのとりつけ・取り外しも傷の原因となりますので、なるべく人の手を介在させないような加工手順を考えることで製品の安定性が確保できます」。





 このように、アルミに特化することで得られるノウハウや知識をその分野に集中できるからこそ「バランスの良さ」が発揮される。
 ロットは数十〜数百個、1個もやらなければ大量生産もしない、自社の得意な数量・素材の領域に絞り特化することで安定した品質と適切な価格を実現している。


「文系でもできます」― 現場の文系率70%

 新卒採用を積極的に始めたのは6年前。会社説明会への参加はもとより、ISO認証、学校の講義を受け持つなどの積極的な企業活動も併せて行ってきた。
 「今では社員の過半数の7人がこの時期の入社で、来年も1名入社予定です。現在、平均年齢32歳と若手が主力の会社となっています。技術者が採れず悩んだ時期もありました。しかし当社の業務を考えた時、その多くがリピート品で段取りも前回通りやる案件が多いことから、技術者でなくともできるのではないかと考えたのです。そこで、文系採用に踏み切ったところ、思いの外、人材が集まるようになりました。現在では現場の文系率は70%ですが問題もおこっていません。『文系率の高い現場』と掲げることで『自分でもできるのでは』という安心感が生まれるようです」。
 技術者の採用が難しいことを前提に、あえて職人化させず、職人でなければこなせないような受注もしない。各人の得意分野を組み合わせ担当することでプロダクトの完成をするスタイルを目指している。
 「得意分野を組み合わせるからチームワークが大切となります。少人数の現場なので、担当機械のプログラミングから材料・工具のセッティング、完成までと広く担当することにもなりますが、その代わり、ターゲットから外れた不慣れな分野の仕事もしない。その中で、難加工と高品質、そしてコストとのバランスを追求し続ける現場にしていきたいと考えています」。
 しかし最近では、若い人が多く社員教育できないという悩みも出てきている。作業面では何の問題もなく経験を積んできた人間でも、管理的面となると経験値もなく教えてくれる先輩も数少ない。今後の成長のためにもリーダーとなる人材の育成は今後の大きな課題と考えている。


新社屋、20年の計

 2019年8月、新社屋が完成。この新社屋は20年後を見据える。



 「今、社員は11人ですが、新社屋には35人が入れる食堂を作りました。今後毎年1人ずつ採用し20年後にはそれぐらいの人員規模にしていきたいと思っています。給与も、現在は全国平均を上回る水準ではありますが、これも近いうちに愛知県平均を上回るようにしようと考えています。併せて10年ビジョンでは有給消化率100%にするなど、不満なく長く働けるようにしていきたいと思っています。それには工場の稼働状況から財務面までセグメントの分析ができる体制を整え、経営の検証ができるようにしていきたいと考えています。それにより、付加価値を高めるためにはどうするか、コスト意識や現場改善の方向性をどう定めるかなど、細かいところまでチェックする必要を感じています」。
 当社のプロダクトは機械部品がほとんどで裏方的な役割であることから、人目に触れる機会のある新たな分野の可能性を模索している。
 「今後はホビー関係に進出できないかと思っています。ホビー用品は大半が樹脂製ですが、限定生産品となると、金属製のプレミアムバージョンになることが多いのです。数百個単位の生産であれば自分たちの量産レンジにもなりますし、人の目に触れることから従業員のやりがいにも繋がります。また、意匠性・デザイン再現性という加工技術へのチャレンジもなり当社の新しいものづくりの扉を開くきっかけにもなればと思っています」。
 20年後、2040年のMRTの姿を楽しみにする村田社長である。


取材・文 有限会社アドバイザリーボード 武田宜久