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運命のオートボビンチェンジャー、世界に羽ばたく

代表取締役 木下 治彦

記事更新日.2020.4

木下精密工業 株式会社

■問い合せ先
木下精密工業 株式会社
〒462-0063 名古屋市北区丸新町201番

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世界のラグジュアリーブランドがこぞって縫製に採用するシェア100%製品

 世界シェア100%。あらゆる企業にとってこうした製品を持つことは永遠の目標である。工業用ミシンのオートボビンチェンジャー(下糸自動交換装置)、オートボビンチェッカー(下糸検知装置)、オートスキップキャッチャー(目飛び検知装置)でシェア100%のオンリーワン製品を持つのが木下精密工業株式会社である。25年前に発売されたボビンチェンジャーは注目を浴び続け、世界40カ国以上で採用され今も増え続けている。効率的で高品質な縫製が可能になることから、エアバッグや誰もが知る一流ブランド衣料など世界のラグジュアリーブランドからは「縫製には日本の木下のボビンチェンジャーを使うこと」と指定が入る。展示会で名刺交換をすれば「あのボビンチェンジャーの会社ですか」と業界で広く知られる企業である。



高精度を求められるミシン部品を自社一貫生産体制

 昭和23年、現社長木下治彦氏の父である秀治氏が木下ミシン工業を創業。戦前は航空機メーカーでゼロ戦部品の製造で鳴らしたものづくりの職人であった。戦後、飛躍的に需要が高まるのを感じ、工業用ミシンの販売・修理業として独立した。
 しかし、工業用ミシンの生産台数も1991年にはピークを迎える。その後円高などの影響で、工業ミシンの中でも高付加価値のマシンと技術を要する特殊用途ミシンだけが日本に残り、コスト面の要求が強い製品カテゴリーは中国へと移転していく。
 当社も軌を一にするように、1990年には量産体制を整え技術力を要する特殊ミシン向け部品の製造へとシフト、価格重視の海外部品とは一線を画した品質と技術により差別化を図ろうと考えた。

 工業用ミシンの回転数は1分間に6,000〜10,000回転程度。この高速回転をフレーム筐体と500点ほどとされる精密な部品で支える。その精度1ミクロン。求められるのは精度だけではない使い心地の良さ。例えば、布と直接接触する押さえ部分では、わずかな引っ掛かりも許されない仕上げ能力が求められる。こうした高精度が要求されるミシン部品を創業以来20,000点以上作り続ける技術力を支えているのは、高精度の切削加工に熱処理、研磨加工、表面処理、そして最終的な検査工程を加えた一貫生産体制である。




オートボビンチェンジャー誕生

 1993年のある日。縫製工場で縫い子さんが頻繁にミシンの下に潜り込み、ひざをついて下糸用のボビンを取り替えているのを見かけた。
 工業用ミシンでは下糸のボビンの巻量が上糸の巻量に対して極端に少ないためボビンを頻繁に交換する必要があり、そのたびに縫製作業は中断していた。単純にボビンを大きくすれば交換頻度が減り、作業性が向上するようにも思われる。しかし縫製は、上糸を針の剣先の穴に通した状態で布を貫通した後、下糸が上糸を巻き込みながらボビンの下を縄跳びのようにくぐることで上下の糸が縫い合った状態となる。ボビンを大きくすると、ボビン下を大きくくぐらせることになり、かえって縫製速度や正確性が落ちてしまう。ミシンの縫製は、ボビンの大きさと縫製速度・効率とのトレードオフがありその中でバランスをとりながら成り立っている。
 そこで、複数のボビンをカートリッジでストックし、自動でボビンチェンジができれば、ミシン下にもぐりこんで取り替える回数が大幅に減らせ縫製効率も上がり、縫い子さんの負担も減るのではないかと考えた。
 工業ミシンの生産台数はすでにピークアウトし、自社の新たな展開を模索していた時期で、自社製品として開発することでいわゆる「下請脱却」ができないかと考えていた。縫製工場からの帰路、さっそくアイデアをスケッチし開発に取り掛かった。
 その年のうちに試作機が完成。糸切れになると8個のボビンをストックしたカートリッジが回転し自動でストックのボビンを補充する「オートボビンチェンジャー」の誕生である。1995年6カ国で特許を取得、国際有力メーカー20数社を招き内覧会を実施した。
 「発売当初は製品のすばらしさは認めてもらえるものの、思うように売れませんでした。当時縫製業界は安い人件費を求めて中国や東南アジアへ進出を開始したばかりで、まだまだ人件費も低く『手で変えたほうが安い』と言われてしまいました。今から思えば時代を先取しすぎ、当時にはまだまだ必要とされない技術だったのでしょう」と当時を振り返る木下社長。




縫製効率向上を磨き時代のニーズにもマッチ

 この後も縫製作業の効率化のため1997年に下糸の残量を検知する「オートボビンチェッカー(下糸残量検出装置)」、2010年には縫製中に縫い目が飛んだことを瞬時に検知しミシンを停止させる「オートスキップキャッチャー(目飛び検知装置)」を開発、自社製品に磨きをかけた。



 「オートスキップキャッチャーは目飛びのないミシンはつくれないか、という要望から生まれました。しかしそんなミシンはできません。そこで目飛びが発生したらストップする装置を開発しようということになりました。問題は目飛びをどう見つけるかです。目飛びは何らかの原因で下糸が上糸をうまく巻き込めなかったことで発生します。その時は、糸のテンションが通常に比べ緩くなることに着目しました。縫うたびに糸にエアを当てることで、目飛び時には通常よりもエアによる糸の振れ幅が大きくなることを検知することに成功。エアを当てることで糸のテンションが安定し、目飛びそのものが大幅に減少するという副次的な効果も生まれました」。
 オートボビンチェンジャーの発売から10年後。ドイツ・ケルンでの展示会。連日、欧米のミシンメーカーの来訪で当社のブースは賑わっていた。縫製工場が進出した東南アジアでは人件費が高くなり始め、労働集約型から資本集約型への移行を余儀なくされ始めていた。当社のオートボビンチェンジャーは、縫製時間を長くし生産性を向上させる製品として欧米企業から注目を集めるようになっていた。年100台単位で数ロットの受注に成功、ようやく製品に時代が追いついた。その後、欧米で採用されているという評判を聞きつけ日本のミシンメーカーでも相次いで採用されることになる。今では自動車向けのエアバックやシートなどの非アパレル分野での縫製品質の安定にも貢献している。オートボビンチェンジャーは第26回発明大賞、オートスキップキャッチャーは第38回発明大賞考案功労賞を受賞するなど高く評価され、ミシンメーカーからは「20年前の製品が基本形を変えず今も売れ続けているというのは、よほど完成度の高い製品だったのですね」と評された。



 「機構を極力単純化したため、各メーカーの後付機構として製品ごとにフィットするようにアレンジしやすかったことも、市場に受け入れられた大きな要因だったと思います。世界シェア100%はありがたいのですが、壊れることもなく消耗もしないので買い替えのオーダーにつながらないことが悩みです。こうした当社の技術水準がわかる製品があると、それが大きな情報発信力となりミシン部品のオーダーにつながるなど、中小企業には営業上の強力な後押しになります」。


航空機部品へと受け継がれるものづくり

 高い評価を受ける自社製品を可能にしたのは、ミクロン単位の加工精度を実現する一貫生産体制。この技術力の底力を担うのが社内の「技能道場」。
 「これは、若手社員が『こういうものづくり技術について知りたい』という希望に応え中堅・ベテラン社員が教室を開くというものです。実務上の課題に即した内容になるのですが、意外と最先端の技術ではない、例えば刃物や治具の研磨方法であったり図面の見方のコツであったり汎用機の使い方であったりします。『見て覚えろ』というのはもう流行りません。この取組はものづくりのベースの部分を受け継いでいく重要な機会であると考えています」。


 2014年に「アジアNO1航空宇宙産業クラスター形成特区」への登録、2016年に航空・宇宙・防衛産業向け品質マネジメントシステムであるJIS Q9100認証を取得し、ミシン部品、自社製品に続く第三の柱として航空産業への参入を開始。航空機の機体部品や装備品を手掛ける。



 「ミシン部品は1つ1つが小さい上に精度が非常に厳しく仕上げの厳しさがあります。そこで鍛えられた加工技術が航空機部品でも活かされています」。
 ゼロ戦部品に携わっていた創業者が戦後日本の復活に貢献したミシン産業の部品製造へと転じ、現社長のもとオンリーワン製品へと開花した技術力が、今度は戦後途絶えていた日本の航空機技術復活に向け再び航空機産業で活かされる。日本のものづくりの技術や魂はこうして引き継がれ続けている。


取材・文 有限会社アドバイザリーボード 武田宜久       
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