菅沼氏の曽祖父は赤坂や銀座で洋食店を経営する料理人だった。当時の洋食店といえば高級レストランを指しており、食については厳しい人だった。東京に住む祖父も美味しい店を良く知っており、食への関心が高い家系であった。こうした影響を受けてか、菅沼氏自身も料理を食べることも作ることも好きだった。自動車部品の開発に30年以上携わる技術者であったが、今後の生涯職業として飲食業の選択を捨てきれず独立することとなった。
「いつかは開業を」と30代ぐらいから焼き菓子や料理の商品開発を進めて、提供する料理やお菓子には目処がついたが、一方で不安だったのは資金調達などの経営管理、事業戦略や事業計画づくりなどをあいち産業振興機構の創業道場に通い1年間勉強した。
一度は「事業性が低い」と融資を断られたが、地域のこと競合のことを調べあげ戦略を練り直し、地元の商工会議所などにも相談することで事業計画を完成させ、見事調達に成功、開業にこぎつけた。
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