1850年創業者の国島武右衛門が尾州西部(現在の一宮市)にて機屋業を創業。ペリーが「黒船」で来航する3年前のことである。創業者は、チャレンジ精神にあふれ、機屋業にとどまらず、問屋業、金融業など、現在で言う「経営の多角化」を図っていった。
1924年(大正13年)には、当時流行した「国の内外に発展する」という意味を持つ「中外」という言葉を社名に冠した、中外毛織株式会社を設立。
これが現在の毛織物メーカーの源流となっている。
1938年(昭和13年)には天津に総合商社の三興洋行社を設立。そのチャレンジ精神で海外に目を向けた展開も積極的に取り組んだ。
戦後においても、他者に先駆け、1965年にイタリア、1968年にフランス、1970年にはイギリスの企業と技術提携・姉妹会社提携を締結するなど、海外展開に積極的に取り組んでいる。
「海外展開にあまり抵抗のない風土であった当社は、ファッションのイメージが強い国のメーカーと積極的に技術提携をしていきました。国内の取引先へ提携先を同行させると、かなりの確率で商談がまとまったようです。海外ブランドがまだまだ手の届かない存在だった時代でしたので、当社の評価を高めるのに一役買いました」と現社長の伊藤正樹氏。
1981年には中外毛織鰍ニ国島鰍ニが合併、中外国島鰍ニなり、1995年には製造のグローバル拠点である上海中外国島毛織有限公司を設立、現在に至る。
|