現社長山田健雄氏の父親である秋幸(しゅうこう)氏が名栄社の前身となる名栄写真工芸社を創業したのは昭和34年。当時は工業製品向けのプレートの製版を行っていた。その後オフセット印刷機を導入、金属プレートや銘板の印刷・製造など主に工業製品向け印刷を開始する。
「先代は非常に挑戦的な人で、常にアンテナを張り新しい技術や事業の可能性を模索する人でした。新しい機械を買っては捨てを繰り返すといってはオーバーですが、それぐらいいろいろなチャレンジをしていました。こうしたチャレンジスピリットはこれからも継いでいきたいと思うほどです。業界は分業化が進み、製版業でありながら印刷も本格的に手がけるところは多くはなかったと思います。昭和56年には時代の変化や顧客の要望に応えるためにスクリーン印刷機を導入、本格的にスクリーン印刷による部品製造業へ進出しました」。
スクリーン印刷とは孔版(こうはん)印刷の一種で、版自体に穴をあけそこからインクを擦りつける印刷方式である。古くは謄写版、少し前なら「プリントごっこ」をイメージすると分かりやすいかもしれない。紙はもとより、ガラス・プラスチック・合成樹脂・金属・布等、ほとんどどのような素材にも印刷ができるため、家電のスイッチパネルや自動車メーター、電子回路など多様な用途に利用される。
「平成に入ると製版のデジタル化にも早くから取り組みました。今でこそパソコンでフォトショップやイラストレーターを使えば簡単にデジタル製版ができてしまいますが、当時はまだ黎明期でデジタル製版の先駆けとなった機械は1億2千万円もしました」と当時を振り返る山田社長。
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