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洋菓子の「素人」、地域人気店展開の秘密
小島 祐助 記事更新日.09.10.01
有限会社 フィレンツェ 代表取締役
■問合せ先
有限会社 フィレンツェ
 〒454-0869 名古屋市中川区荒子1-194番地
TEL 052-351-0708  Fax 052-351-0748
http://www.firenze.co.jp/
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■地域密着型洋菓子店を展開
昭和58年、名古屋市中川区高畑に「フィレンツェ」というケーキ店が開店する。ケーキ店の多くは、ケーキ職人が店で修行を積み、独立開業を果たすのが一般的である。ところがこの店の主、小島祐助氏は洋菓子の修行などただの一度もなく、パンの製造販売会社に勤めた後、昭和56年、社長の父親が経営する和洋菓子店「中村屋」へ入社、その2年後にプリンも焼けずシュークリームも作れずという「ズブの素人」である。当時の常識では無謀と思われた開業も、高畑店の開店を皮切りに、その近隣に店舗を拡大、洋菓子店「フィレンツェ」は4店に、さらに、チョコレートカフェ「クオレ」、焼き菓子専門の「マエストロ」を立ち上げ、いずれも人気店として多くのお客様から支持を受けるまでになった。
■大ヒット「100円ケーキ」
小島社長の実家「中村屋」は、熱田神宮の中で販売する『熱田ういろう』というヒット商品を手がける他、ケーキなどの洋菓子も製造販売するなど、手広く商売をしていた。「親戚の手を借りながらのお菓子作りを行っていたこともあり、父親の店に入った当初は、お菓子なんてちょっとやればすぐ上達する、と思っていましたが、実際自分の手でやってみると見事なほど全くだめでした」と笑う小島社長。「そこで、自分はいろいろ新しい企画に取り組む側になろうと考えたわけです」。
考え出したのが100円ケーキ。5〜6種類のケーキを夜通しで作り、スーパーへ持ちこみ自ら販売したところ、これが大当たり。日に1500個ほどをコンスタントに販売するまでになった。
「ヒットを知った大手の菓子店が同様の企画を、しかも多くのラインナップで真似し始めたため、結局半年ほどでやめてしまいましたが、『自分には未知のマーケットであった中川区で、こんなにケーキが売れるんだ』というはっきりした手ごたえを得ることができました。いわば潜在需要をつかむための、いいマーケティング活動ができたわけです」。
このヒットを手がかりに、本格的に洋菓子店の出店を考え始める。

■「ズブの素人」洋菓子店開店に挑む
とはいえ、職人でもない小島氏は洋菓子業界では「ズブの素人」。どこにどのような店を出せばよいのかも全くわからず、近隣の繁盛店へ「繁盛の秘密」を聞きにいくことに。当然のことながら「ライバルになろうという人に教えられない」と断られるが「お客さんなら聞かれたことに答えないわけにもいかないけどな」とも言われ、毎日1〜2個のケーキを買いに足しげく通い、そのたびに疑問に思うことを教えてもらうことができた。その店主からは「今まで勉強したことをベースに、たくさんの店を回って、店作りや雰囲気作りを勉強してくるといいよ」と言われ、有名店めぐりを始める。
「これは勉強になりました。1つのお店に開店から閉店まで店に居続けるわけにはいかないので、昨日は夕方、今日はお昼、と何日にも分けて全時間帯店の様子を見るわけです。これを何軒も通っているうち、何となく繁盛店に共通するものが見えてくるんですよ。例えば入り口から何mのところにケースがある、品揃えの数、ケースの寸法や高さ、正面のメインになるケーキの棚の幅はどれぐらいだ、ということが自分の中で明確にイメージできるようになりました。その結果、店舗を出すときには『新品の什器を入れなくとも充分繁盛店はできる』という自信ができていましたので、中古の什器などを多く使い、初期投資を抑えることができました」。
物件探しには建築業者の手を借りた。「当時、夜の12時まで仕事をしていましたので、そんな時間でも相手をしてくれる業者は1件しかありませんでした。物件を探しに明かりもない田んぼの真ん中で業者とうろうろしていましたので、よく不審者と間違われなかったものだと思っています」。紹介を受けたのが現在の高畑店です。今でこそ、あおなみ線がすぐそばに開通し、非常に良い立地になりましたが、当時は臨港線ガード下のハボタン畑でした。出店にあたり、初期投資を抑えるために、当時多くなりつつあった「リース建築」という手法を活用した。「これはキャッシュフロー上たいへん助かりました」とのこと。
こうして、昭和58年に中村屋から独立、「洋菓子専門店フィレンツェ」として高畑店を出店、順調に業績も推移し、昭和62年には法人化をする。
■ケーキ作りは職人に権限委譲し、店作り・仕組みづくりに専念
「この時から私は自らケーキ作りをすることは一切やめました。職人でもない私ができることも少ないですし、開店以降ケーキ作りは職人を信頼し任せてきたわけですから。それよりは、経営に専念しようと考えたわけです。ケーキを作る現場がお客様から見えるようになっているか、お客様に試食がスムーズに出せるようになっているか、従業員が自然と動ける仕組みをどうつくるのか等、店づくり・仕組みづくりに専念するようになりました」。
昭和62年に春田店、昭和63年に岩塚店、平成5年には大治店を平成8年春田店を移転し、かの里店をオープン。いまでは4店舗となった。
大手洋菓子メーカーが、拠点工場で製造したケーキをその日のうちに全国の工場直売店で販売するビジネスを展開、当店周辺にも参入しはじめ、脅威を感じ始めたのが平成8年ごろ。
競合が現れてもお客様に足を運んでもらうためにどうするか。「地元で作り、近隣のお客様に販売するのだから、鮮度だけは負けないケーキ作り・店作りをしていこう」と考える。
そこで各店舗の商圏をあえて小さく考え「小さな商圏のお客様のために洋菓子を提供する」ことをコンセプトに、お客さんの顔が見える商売を心がけた。具体的には、お客様と最前線で接する感覚を大切にするために各店の自由な発想を優先させ、ケーキ作りに関する権限の多くを店のチーフに任せることにした。
「この結果、同じ商品名でも店により味が多少違うことも容認しています。各店の自由な発想で、来てくださるお客様を喜ばせて下さい、ということです。こうすることで、店同士に競争意識も芽生え、よりよいケーキを、よりよいサービスをと自主的な活動につながっているようです」。
こんなエピソードがある。クリスマスケーキは洋菓子業界にとって、年1番のビジネスチャンスである。当社では、各店で1つづつクリスマスケーキを作り、4つを「フィレンツェのクリスマスケーキ」として販売する。お客様はその中から好きなものを選択するのだが、不思議なことに、各店とも、自店のチーフが考えたケーキがその店で一番の売上になるという。「自分の店のをお勧めしなさいと言っているわけでもありませんので、競争意識というのではないのでしょうが、『自分の店で作ったケーキ』という思いが店員一人一人に浸透していて、店をあげて、そのケーキを売りたいという強い思いがそういう結果を生んでいるのかもしれませんね」と小島社長。
■「のびしろ」を作るのが経営者の仕事
「よく、新店舗をつくるとそちらが伸びるが既存店の勢いが止まり、既存店対策に悩む、という話を聞きますが、当社では既存店を少しづつでも伸ばしていくことそのものが私たちのチャレンジだと考えています。各店の社員が自らの発想で、毎月・毎年、店舗を見直して少しの部分でも改装したり、社内でお菓子の勉強会を開いたりして、地域のお客様に喜ばれるよう工夫し続け、『のびしろ』を常に作っていく仕組みを作っていきたいと考えています」。
平成15年にはチョコ専門店とカフェを併設した「チョコレートカフェ クオレ」を、同年、丸栄百貨店内に出店しました。平成16年には、丸栄百貨店内に「焼菓子専門マエストロ」を、同年刈谷ハイウェイオアシスにもオープン、平成20年には、高畑本店隣地に「マエストロ製品」の量産工場を新設しました。
「ケーキからチョコ、焼き菓子へと常にお客様に新たな喜びを提供することを考えて事業を拡大してきました。今後は洋菓子だけでなく和菓子の匠と組んで、お客様に喜んでいただける『新たな伸びしろ』づくりもしていこうと考えています」。

取材・文 有限会社アドバイザリーボード 武田宜久       

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