インターネットの歴史
インターネットの成り立ちとその基本的な考え
1961年、アメリカのユタ州でテロにより3ヶ所の電話中継基地が破壊されました。 この事件により軍用回線も一時的に完全停止しました。 アメリカの国防総省は核戦争時に従来の電話網はまったく役に立たなくなると考え、 新たな通信システムの研究を始めました。
その後の研究により、現在のインターネットでも基本的な考え方となっている 2つの項目の実現を目標としたネットワークが考え出されました。
1. 分散型ネットワーク
右図で(A)(B)間で通信を行う場合、図上では(A)から(C)という中継点を通り、(B)と通信できるようになります。 しかし、中継点(C)が何らかのトラブルで機能しなくなった場合は、(A)(B)間での通信はできなくなってしまいます。
そこで、(C)という中継点だけでなく、(D)という中継点も使用できるようにします(図下)。 仮に(C)が機能しなくなったとしても、(D)を迂回することにより、(A)(B)間の通信が可能になります。
このように一ヶ所に依存することのないネットワークの仕組みを分散型ネットワークといいます。
2. 情報のパケット(小包)化
通信をする際に、送るデータを小分けにして送る、このことをパケット化といいます。 小分けにしてデータを送ることにより、通信が一時的に寸断された場合でも、続きのデータを送ることができます。
実際の運用とその後の流れ 学術利用から商用利用へ
1969年、9月にアメリカ内の3つの大学、12月にはもう1つ大学が加わり、24時間常時つながっているネットワークが運用され始めました。 このネットワークは構築の指揮をしていたARPA(アメリカ国防総省高等研究計画局)にちなんで、「ARPAnet」と名づけられました。
1970年代には、ARPAnetに参加していないアメリカ内の大学や研究所でも同様のネットワークがいくつかできました。 その後、1980年代には学術ネットワークとして拡大していき、1990年ごろにはアメリカ中のネットワークが相互に接続されました。
学術目的以外のインターネット、すなわち商用インターネットは、 1989年にインターネットとパソコン通信の間でメールのやりとりが可能になったことを皮切りに、 1990年には、商用アクセスプロバイダができ、インターネットの民間利用が進んでいきました。
一方、日本では、1980年代に学術ネットワークとして一部大学や研究所等で使われていました。 商用利用については1993年に郵政省から許可され、運用されるようになりました。
また、1993年には、ホームページ閲覧ソフト(ブラウザ)「Mozaic」が開発され、インターネット人口が爆発的に増加しました。 ホームページ自体は1991年から使用されていましたが、文字データのみをあつかっていました。 「Mozaic」は文字に加え画像データもあつかえ、現在のブラウザのもととなるソフトでした。
この後、パソコン自体の価格の低下、インターネット接続にかかるコストの低下、ソフトウェアの進歩などがあり、 企業のみならず一般家庭でもインターネットを使用することが一般的となりました。